雨は嫌いですか、私は好きです

 さっき自分が口にした言葉が、まだ何処かに残っている気がする。
 避けられている、という感覚。そのままの形で外に出したことで、少しだけ現実味を帯びていた。

「……そう」

 先に口を開いたのは母だった。
 短く、受け止めるように、否定も驚きもない声。

「それは、気になるわよね」

 当たり前のことのように言われて、少しだけ肩の力が抜ける。
 自分の感じていることをそのまま認めてもらえた気がして、雨音は密かにほっとする。

「でもね」

 母はそこで少しだけ間を置いた。言葉を選ぶように、視線がほんの少しだけ宙を泳ぐ。

「分からないまま考え続けても、多分答えは出ないと思うの」

 決めつけるでもなく、ただ事実を置くような柔らかい言い方だった。
 雨音は母の目を見たまま何も言わず、黙ってその言葉を聞く。

「相手がどう思ってるかなんて、本人にしか分からないしね」

 母は小さく笑い、困ったものよね、と続けた。
 その微笑みを見た雨音は、心の中で確かにと思う。
 いくら考えても、一晴の気持ちは分からなかったのだ。
 今日、一日中考えていたのに。思い当たることを何度もなぞって、それでも何も見つからなかった。
 それなのに、気持ちだけはずっと引っ掛かったままで。

「逃げられてるって思ったまま、何もしないでいるのは。それで納得できるか?」

 母の言葉に父は短い言葉で続ける。けれど、その言葉は何よりも真っ直ぐで、逃げ道を残さない問い掛けだった。

(逃げられていて、何もしないのは……嫌)

 答えは自分でも驚くくらい、案外すんなりと出た。考えるまでもなく分かっていた。
 納得なんてできるはずがない。このまま終わるなんて、嫌だと思っている。

「じゃあ、どうするかだな」

 父はそれ以上は言わず、突き放すわけでもなく、ただ雨音に選ばせるように小さく笑った。
 その言葉が胸の中に静かに残る。
 どうするか。
 そのままにするのか。
 胸の奥が少しだけざわつく。分かっているのに、踏み出せないのがもどかしい。

「……怖いけど」

 ぽつりと無意識の内に言葉が漏れていた。
 改めて声に出したことで、初めてはっきりする。自分は怖いのだと。
 その恐怖の正体が何なのかは分からない。ただ、兎に角怖かった。

「怖くても、聞いてみるしかないんじゃない?」

 母は決して否定することなく、雨音に寄り添いつつも一線を隔てて言った。

「違ったら、それはそれで分かるし。もし本当に何かあるなら、それもちゃんと分かる」

 母の声はずっと穏やかであるから、だからこそその言葉を逃げ道にできない。
 曖昧にしておく余地が、少しずつ無くなっていく。
 雨音は視線を落とし、テーブルの木目をぼんやりと見つめた。その上に、自分の気持ちが重なる。
 怖さと。
 それでも、動きたい気持ちと。

「……このままの方が、嫌か」

 父がぽつりと確認するように言う。
 雨音は少しだけ迷ってから、俯いたまま小さく頷いた。

「……うん」

 その一言ではっきりする。
 逃げられて終わるのは嫌だ。分からないまま終わるのは、もっと嫌だ。
 胸の奥に残り続けるこの感覚を、放っておきたくない。
 たとえ、怖くても。
 たとえ、思っているような答えじゃなかったとしても。
 ちゃんと向き合いたいと思った。その気持ちがゆっくりと形になっていったのは、ただ避けられたくないと思ったからではないのだろう。