雨は嫌いですか、私は好きです

 雨音は視線を向けられて、思わず背筋を伸ばす。

「ふーん」

 意味ありげな声。一晴はそれに気付かないふりをして、机に軽く寄りかかった。

「藤代こそ遅くない?  もうすぐホームルームなのに」
「大丈夫大丈夫。まだ二分ある」
「微妙なラインすぎんだろ。ほぼ遅刻じゃん」
「セーフはセーフ」

 そんなくだらない遣り取りを聞き流しながら、雨音教室の前方をちらりと見る。
 ちょうどその時、教室の扉がまた開いた。担任の教師が入ってきて、生徒達が慌てて自席へと戻っていく。

「あ、やば。じゃ、またあとで」

 一晴はそう言ってひらりと手を振り、自分の席へ戻っていく。
 その背中を、雨音はつい目で追ってしまった。 
 席に座った一晴は、もうクラスメイトと普通に話し始めている。さっきまでここにいたのが、少し不思議なくらい自然に。

「……へぇ」

 隣から、ぽつりと声が落ちた。
 雨音が顔を向けると、机に肘を机に着きながら見つめる凌の目と目が合う。

「小森さん」
「は、はい?」

 凌は少しだけ口元を緩め、未だ眠気が覚めていない目を細めて笑った。

「成瀬と、いい感じになったね」

 その言葉の意味が、雨音は一瞬分からなかった。けれど、数秒遅れて言葉が頭に入る。

「え……?」

 思わず声が裏返った。わけが分からなくて、頭の中がグルグルと回転し始める。
 戸惑いを全面に見せる雨音を見て、凌はくすっと笑った。

「いや、さっき普通に話してたじゃん」
「そ、そんなこと……」
「あると思うけど」

 あっさり言い切られてしまい、雨音は慌てて首を振る。

「ち、違います。別に——」

 そこまで言い掛けて、直前で言葉が止まった。
 “違う”と言おうとしたのに。 何が違うのか、自分でもよく分からなかった。
 凌はそんな雨音の反応を見て、面白そうに目を細める。

「図星?」
「ち、違います……!」

 雨音は慌てて手を振りながら否定する。けれど、声はさっきより小さくなっていた。
 凌は肩を竦め、ほんの少しつまらなそうに担任が立つ教壇の方に目を向ける。

「まあ、いいけど」

 そう言って息を吐くと、徐ろに机に突っ伏した。

「でもさ」

 俯いてくぐもった眠そうな声が、もう一度だけ聞こえる。
 雨音にはその声がよく聞こえなくて、無意識の内に凌の方へ身体を寄せていた。

「成瀬、ああ見えて面倒くさいから」
「……え?」

 凌は顔を伏せたまま、片手をひらひらと振った。

「まあそのうち分かるよ」

 それだけ言うと、本当に寝るつもりなのか動かなくなる。
 ちょうどそれと同時に、担任が出席簿を机に置いた。タンっという軽い音が教室に響く。

「はい、席つけー」

 その一言で、教室のざわめきが少しだけ静まる。
 雨音はゆっくり前を向いた。けれど、視線はつい教卓の前の席へ向いてしまう。
 そこには、後ろを向いて友達と何か話して笑っている一晴の姿があった。

(……いい感じ)

 さっき凌が言った言葉が、頭の中で小さく響く。
 雨音は慌てて視線を黒板へ戻した。それでも、胸の奥はまだ落ち着かなかった。