雨は嫌いですか、私は好きです

 雨音の脳内を支配するのは、雨が降る公園で一晴と交わした約束。
 名前の呼び方。
 敬語。
 そして、クラスで人気者の成瀬一晴の一面が崩れた瞬間。

『力になってくれてるってことで、いいよ』

 あの時、一晴と過ごした時間を思い出すたび、胸が落ち着かなくなる。
 雨音は少しだけ視線を彷徨わせてから、意を決して口を開いた。

「……な、成瀬」

 そこまで言い掛けたのに、ほんの一瞬だけ言葉が止まる。
 すぐ傍からは一晴がじっと見ていた。逃げ場のない視線を熱心に向けられる。
 公園で向けられたものと同じ視線に刺されながら、雨音はぎゅっと手を握った。

「……成瀬君」

 たっぷり数十秒を使って、やっと言えた。声は小さかったけれど。
 一晴は一瞬だけ目を丸くして、それからふっと笑った。

「うん、それでいい」

 満足そうに頷いてから浮かべたその笑顔を見た瞬間、雨音の胸の奥が、また静かに騒ぎ始めた。

(……やっぱり)

 昨日までとは、少しだけ違う。
 同じ教室。
 同じ席。
 同じ朝。
 それなのに、確かに一晴が向ける視線に違う色が混ざっているような気がした。

(成瀬君のこと……)

 前より、ずっと意識してしまう。
 ただの人気者だから、目立つから、それだけではない理由が確かにある。
 窓の外では、雲の隙間から朝の光が差し込んでいた。
 雨音はまだ少し落ち着かない胸を抱えたまま、机の上の教科書をなんとなく整える。
 その時、教室の後ろの扉が開いた。

「……あー、眠」

 気の抜けた声が聞こえて、雨音と一晴は同時に扉の方へ視線を向ける。
 教室に入ってきたのは、眠そうに目を瞬かせる凌だった。
 片手で髪を掻きながら教室に入ってくると、いつものように真っ直ぐ自分の席へ向かってくる。
 そして椅子を引こうとした瞬間、

「うわっ、珍し」

 と、凌は思わず声を上げた。
 その声を耳にした一晴は振り返って、にやっと不敵に笑う。

「おはよ、藤代」
「いや、おはよじゃなくてさ」

 凌は半分寝ぼけた目を少しだけ見開き、心底理解できないといった様子で首を傾げる。

「なんで、成瀬がここにいんの?」
「俺もこのクラスだかんね。何処通ってもいいだろ」
「それは別にいいんだけど……」

 鞄を乱雑に机の上に置きながら、凌は雨音と一晴の顔を交互に見やる。
 それから、真っ直ぐと一世の顔を見た凌ははっきりと言った。

「基本お前、ここ通らないじゃん」

 一晴は少しだけ肩を竦め、苦笑いを浮かべながら曖昧に答える。

「たまたま」

 軽い調子で言うと、凌はちらっと雨音の方を見た。