雨は嫌いですか、私は好きです

 一晴はしばらく雨を見ていたが、それからゆっくりと言った。

「小森さんってさ、変わんないじゃん」
「……変わらない?」
「俺がどんな奴でも、どんな奴だったか知っても」

 一晴は肩を竦め、投げ出した足をプラプラと揺らす。

「クラスの奴らみたいに、面白いとかつまんないとかで見ないでしょ」

 初めて一晴が話し掛けてきた時、雨音は明るく笑う彼の性格は天性の才能だと思った。
 神様が彼に与えた特産物。笑顔こそ一晴を形成するアイデンティティ。
 けれど、その笑顔すら偽りのものであったのだ。過去のトラウマがかつてのアイデンティティを破壊し、崩れた土台の上に無理矢理偽った自分自身を作り出した。

「普通に話して、普通に隣歩いて、普通に傘入れてくれて」

 当たり前を当たり前だと思えない。思わせてもらえなかった。
 高校に入学し、雨音と出会うまでの空白の一年間で何が一晴を変えてしまったのか。

「それがさ、楽なんだよね」

 向けられる笑みすら、今では偽りのものである気がして。
 雨音はもう、出会った頃のように一晴を見ることはできなかった。
 そして、一晴もまた変わってしまった関係に気づいていた。

「だから……小森さんの隣って、落ち着く」

 その言葉を聞いた瞬間、雨音の胸の奥で何かが静かに軋んだ。
 嬉しいはずの言葉だった。きっと、ほんの少し前の自分なら、素直に喜べていた。
 けれど今は違う。
 昼休みに聞いてしまった話。
 そして、今こうして本人の口から語られた過去。
 それらが頭の中で重なり、どう受け止めればいいのか分からなくなる。

「……成瀬君は」

 少しだけ迷ってから、言葉を続けた。

「それで、いいの?」

 一晴が僅かに目を細めた。その目から雨音は顔を背けようとするけど、糸で繋げられたように逸らせない。

「それって?」
「その……」

 言い掛けて、雨音は言葉を飲み込む。
 “無理しているままでもいいのか”。そんなこと、簡単に聞いていい気がしなかった。
 沈黙が落ち、やがて、一晴は小さく笑った。

「さあね」

 返ってきたのは、何処か曖昧な答えだった。

「もうさ、どっちが本当の俺なのか分かんないんだ」

 軽く言ったつもりなのかもしれない。けれど、その言葉は雨音の胸に重く落ちた。
 屋根の上で、雨が静かに鳴り続けている。
 しばらくして、一晴は立ち上がった。

「そろそろ行こっか」

 公園の外を指差し、振り返った一晴は「クラスで人気者の成瀬一晴」の笑顔を向ける。

「このままだと、ほんとに帰れなくなる」

 冗談めかして笑う声。その声につられて、雨音もゆっくり立ち上がる。
 雨音はもう一度、小さなビニール傘を開いた。
 同じ傘の下に並ぶ距離は、さっきまでと変わらないはずなのに。
 それでも、何処かほんの少しだけ、違う気がしていた。

「小森さん、忘れないでね」
「何を?」
「小森さんの隣。ここ、俺の特等席だから」

 雨の音に包まれながら、二人は静かな帰り道を歩き出す。

「他の人なんて、絶対に入れないで」

 言葉はもう、ほとんど交わされなかった。それでも、傘の下で並んで歩くその時間だけは、確かにそこにあった。