雨は嫌いですか、私は好きです

 雨音はそっと横を歩いている一晴の顔を見上げる。
 一晴はこれまでと同じように、少し気の抜けた表情で歩いていた。
 雨を眺めながら、何処か楽しそうにも見える。

(……無理してるようには)

 とても見えない。
 けれど、そう思えば思うほど、逆に気になってしまう。
 傘の縁から落ちる雨粒を見つめながら、雨音は小さく息を吐いた。 

「小森さん」

 その時、不意に一晴が雨音を見下ろしていつもの調子で苗字を呼ぶ。
 雨音は驚いて顔を上げた。

「はい?」

 凌から過去の話を聞かされたとて、それで何かが変わるわけではない。
 むしろ、変えてはいけなかった。凌の話を聞いた上で、態度を変えることなく一晴とは関わらなければならないから。
 雨音が顔を上げた時、一晴は少しだけ首を傾げていた。

「珍しいね。小森さんから声掛けてくるの」

 揶揄うような言い方ではなかった。ただ、本当に雨音から声を掛けた事が不思議なようで。
 雨音の心臓が、また少し強く鳴る。答えに詰まり、逃げるように視線を足元へ落とした。

「……それ、は」

 上手く言葉が出てこない。けれど、何も言わないのもおかしい気がして。
 雨音は小さく口を開くと、誤魔化せているのかも分からない曖昧な返事をした。

「……雨、降ってきたので」

 それだけ言ってから、少し遅れて付け足す。

「その……」

 上手く誤魔化さなければ、一晴の過去を知ってしまったことを本人に気付かれてしまう。
 せめて本人の口からか、そういう話題にならない限り気付かれてはいけない気がした。
 だから、上手く誤魔化す言葉を続けなければならないのに、喉から絞り出す声は小さく消え入るものばかり。
 それでも、もう一度顔を上げた雨音は一晴の目を真っ直ぐと見つめた。

「……また、一緒に帰れるかなって」

 言い終えた瞬間、あまりの恥ずかしさに俯いてしまう。
 その隣で一晴は、ほんの少しだけ目を見開いていた。
 俯いた雨音の耳に、自分の心臓の音がやけに大きく響く。
 言ってしまった。そう思った瞬間、顔がじわじわと熱くなった。

(な、なんでこんな言い方……)

 もっと普通に言えたはずなのに、と、後から後悔が押し寄せる。
 一方で、一晴はしばらく何も言わなかった。ただ、隣で立ち止まったまま雨音を見下ろしている。
 やがて、くすっと小さく笑う声が落ちた。

「……そっか」

 少しだけ驚いたような、それでいて何処か嬉しそうな声だった。

「小森さんからそう言われるの、嬉しいや」

 雨音はますます俯き、何も言えなくなる。
 一晴はそんな様子を見ながら、まだ少し意外そうに目を細めていた。