雨は嫌いですか、私は好きです

 雨音と凌ですら知らない空白の高校一年生という時間の間で、一晴の身に何があったのか。
 それは、二人には分からないことだった。
 凌は小学校から一晴を知っている。中学でも同じ教室で過ごしてきた。
 けれど、高校に入ってからの一年間だけは、どうしても埋まらない空白として残っている。

「って、こんなの俺が言うことでもないか」
「そ、そんなこと、ないと思います……」

 雨音にとっては、そもそも知らない時間だ。
 二年生になって同じクラスになるまで、成瀬一晴という存在を意識したことすらなかった。
 だからこそ、今こうして聞かされている話の数々は、何処か現実味のないものに思える。
 同じ学校で、同じ教室で、同じ時間を過ごしているはずなのに。
 人には、こんなにも知らない時間があるのだと、雨音はぼんやりと思った。

「……成瀬が小森さんと帰りたがる理由、ちょっと分かったかも」

 吐き出すように呟かれたその言葉は、俯いた雨音の耳には届かない。
 渡り廊下には、昼休みとは思えないほどの静かな空気が流れている。遠くの教室からは、椅子を引く音や誰かの笑い声が微かに聞こえてきた。
 それらを全て吸い込むように、雨音は息を吸う。

(……でも、成瀬さんは明日もって言ってくれた)

 胸の奥に浮かぶのは、やっぱりあの日の帰り道だった。
 雨が降る放課後。
 傘の下で並んで歩いた、短い時間。
 特別な会話をしたわけではない。ただ、他愛のない話を駅に向かうまでの間にしていただけだった。
 それでも、あの時間は、雨音にとって何処か不思議にも心地よく。
 教室では、ほとんど話すことのない相手なのに。
 どうしてあの時だけ、隣に並んで歩いていたのか。
 どうして一晴が雨音に向かってあんな言葉を言ったのか。
 どうして――……。
 雨音はその続きを考えないようにするため、小さく唇を結んだ。

「まあ、なんだ。難しいことを考える事が嫌いな成瀬だからさ。せめてあいつの前だけは、小難しいこと考えないようにしよ」

 凌の話を聞く前よりも、むしろ分からなくなってしまった気がした。
 ただ一つ、確かなことがあるとすれば。
 雨音が知っている一晴は、ほんの一部分でしかないということ。
 そして、その一部分を。
 雨の日の帰り道で、少しだけ見せてくれていたのかもしれないということだった。
 窓の外では、変わらず強い日差しが校舎を照らしている。

「流石に長話しすぎた。ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん、知れて良かった。……成瀬さんのこと、少し分かった気がする」
「それなら良かったよ。あいつのこと、よろしくね」

 それでも、雨音の胸の奥には、まだ小さな雨雲のようなものが残っていた。