雨は嫌いですか、私は好きです

 こういう時だけ無駄に運が良い。喜んでいいものか迷い処だ。

「おや、小森さんじゃないか。今日も掃除していたのかい?」
安倍(あべ)さん」

 用務員の阿部さん。学校内で唯一目を見て話せる人である。
 阿部は人の良さそうな笑顔を浮かべたまま、誰もいないがらんどうの教室を覗いた。
 
「あの、鍵が無いので閉じてほしいんですけど」
「ああ。もちろんいいよ」

 そう言ってポケットからマスターキーを取り出すと、教室の扉を閉じてくれる。
 わざわざ問うことはしないが、何故鍵が無いのかくらい阿部も分かっていた。
 阿部と関わるようになったのは、こうして放課後に一人で掃除をするようになってから。
 今の雨音は高校二年生で、進学するなり一年生の頃からクラスメイトにはぞんざいな扱いを受けるようになったのである。
 毎日のように放課後の校内を巡回する阿部と、毎日のように教室の掃除をする雨音。二人が顔見知りになるのは必然だった。

「今日は夜まで雨が続くらしい。気を付けて帰るんだよ」
「ありがとうございます。えっと、お疲れ様です」
「はい。お疲れ様」

 ぺこりとお辞儀をして、そそくさとその場を後にする。
 気さくに話し掛けてくれるから雨音もそれに答えているが、かと言って阿部と親しくできるかと問われると違う。
 同級生とすらまともに話せないのに、年上の、それも六十歳近いおじいさんとなんて話せるはずがなかった。

(雨、止みそうにないな)

 早足で廊下を進み、階段を駆け下りて昇降口に向かう。
 誰もいない閑散とした靴箱の扉を開けて、今朝方の雨に濡れて乾いていないローファーを取り出す。
 忙しなく履き替えると、逃げるように昇降口を出た。
 外は大雨までは行かないが、しとしとと梅雨らしい雨が降っている。

(……寒)

 六月でも雨が降れば冷える。
 昇降口の前に立ちぼんやりと空を見上げた雨音は、降り注ぐ雨に目を細めた。

 ———バサッ。

 片手でボタンを押し、ビニール傘を開ける。
 人一人が入れるかどうかの小さな傘は、小柄な雨音だからこそ入れた。
 そんな小学校の頃から使っている傘を手にして、一歩階段を降りる。

「おーい」

 もう一段を降りようとした時、不意に背後から声を掛けられた。
 反射的に歩みを止め、勢いよく振り返る。

「ちょっくら入れてくんね?」