雨は嫌いですか、私は好きです

 しばらくの間、会話はなかった。足音だけが、静かな廊下に小さく響く。
 雨音は腕に抱えたプリントを落とさないように気をつけながら、ちらりと隣を見上げた。
 凌は窓の外に視線を向けたまま、特に急ぐ様子もなく歩いている。
 男子生徒と並んで歩くこと自体は、珍しいことではない。

(……あれ)

 それなのに、ふと、胸の奥に小さな違和感が引っ掛かった。
 何が違うのか、すぐには分からない。
 歩幅は同じくらいだし、距離も近すぎるわけではない。沈黙だって、別に気まずいものではなかった。
 けれど、確かに何かが引っ掛かる。雨音はほんの少しだけ首を傾げた。

(……変)

 同じように男子と並んで歩いているはずなのに、何処か落ち着かない。
 雨音は辺りに散漫していた意識を集中して、あの雨が降る日の放課後を思い返してみた。
 雨の日の放課後。
 傘の下で並んで歩いた帰り道。
 あの時は、こんな風に考えることもなかった。
 会話がなくても気にならなかったし、むしろ、そんな静かな時間が心地よかった。
 足音と雨の音だけの帰り道が終わってしまうことを惜しいとすら思った。
 けれど、今は何かが違う。その違いの正体が分からない。
 雨音は小さく息を吐き、視線を足元へ落とした。

(……別に)

 比べる必要なんてない。
 そう思い直しながら、腕の中のプリントを抱え直した。
 階段を降りると、廊下の先に職員室の扉が見えてくる。職員室の前まで来ると、凌が軽く扉を指差した。

「ここだよね」
「……はい」

 雨音は小さく頷き、扉を二度ノックする。

「失礼します」

 中から「どうぞー」という気の抜けた返事が返ってきた。
 二人で中へ入ると、職員室には昼前の落ち着いた空気が流れている。
 数人の教師が机に向かっていて、書類をめくる音やキーボードの音だけが静かに響いていた。
 雨音はきょろりと視線を巡らせる。

「……あ、あの」

 あまりにも小さすぎる雨音の声は誰にも届かない。
 少し前に二人に気の抜けた声を掛けた教師ですら、パソコンを睨め付けている。

(ど、どうしよう……)

 大声を出して誰かを呼び出す勇気がなければ、そんな声量も持ち合わせていない。
 職員室の中をきょろきょろと見渡して存在をアピールしてみるが、誰一人として雨音の方を向こうとはしなかった。