その生徒の名は、小森雨音。
比較的小さい背丈と、目に掛かるまで放置された長い前髪、少し癖づいた髪、眼鏡を掛けた姿が印象的な少女である。
雨音はしばらく教室の入口を眺めていた。あの二人が出ていった先を睨め付けていたのだ。
「はあ……」
話し掛けられた驚きで咄嗟に閉じてしまったが、本に栞を挟むのを忘れていた。
ペラペラとページを捲ってみるけれど、何処まで読んだか分からない。
「……はああ」
もう一度深い溜息が溢れてしまった。
物静かで何を言っても聞き入れてくれそう。それがクラスの中での雨音の肩書だった。
今日だけではない。
昨日も、その前の火曜日も、そのまた前の月曜日も、ずっと前もそうだった。
(取り敢えず、早く掃除を終わらせて帰ろう)
ああやってクラスメイトが雨音に話し掛けるのは、何かを頼む時。もっと言えば、何かを押し付ける時くらいだ。
担任ですら、「小森、これを職員室まで運んでおいてくれ」と抱えると背丈以上になる問題集を押し付ける。
このクラスで雨音は“都合よく利用できる便利屋”のように扱われているのであった。
———シャッ、シャッ。
箒で床を掃く音が教室に満ちる。何も掃除当番はあの二人だけではないはずなのに、今は雨音以外に誰もいなかった。
たった一人で教室中を掃くのは時間を要する。
十五時半には終礼が終わったはずなのに、時計を見ればすでに十六時十分になろうとしていた。
毎日がこんな時間の繰り返し。とっくに嫌気が差しているはずなのに、何故か抵抗する気にはならなかった。
(……私なんて、どうせ)
どうせ、人を前にすれば何も言えなくて黙ってしまう。
あの二人のような達者な口が無ければ、何もかもを押し通す意思の強さも無い。
いつだって、相手のいいように利用されるのがオチ。
「えーっと、教室の鍵は……」
けれど、何よりも質が悪いのは担任の方なのかもしれない。
毎日のように雨音は掃除を押し付けられて一人でしているというのに、担任は顔すら出さない。
そして決定的なのは、担任が嫌がらせをしてくること。
今日は教室の鍵を何処かに隠されてしまった。何処にあるのかは、大方見当がつく。
(開けっ放しで帰ると怒られるし)
面倒だが、何処かで用務員を捕まえて閉じてもらおう。
そう思って教室を出た時、偶然にも用務員のおじいさんが通りかかった。



