雨は嫌いですか、私は好きです

 
「前回行った小テストを返却します」

 教壇の前で、先生が淡々と名前を呼び始める。紙が配られていく乾いた音が、静まり返った教室に小さく広がった。
 雨音は窓際の一番後ろの席から、その様子をぼんやり眺めていた。
 呼ばれる名前。返される答案。笑い声や小さな悲鳴がぽつぽつと上がる。いつもと変わらない光景だ。
 けれど、気付けば視線は教室の中央あたりに向いていた。
 そこにいるのは、教団の目の前で祈るように手を組む一晴である。

「小森さん」

 一晴よりも先に名を呼ばれた雨音は、極力気配を出さないように静かに立ち上がった。
 教団の傍に立ち、おずおずと教師からテストを受け取る。

「この調子で頑張ってくださいね」
「……はい」

 その場でちらりと点数を確認すると、赤色のペンで「満点」と書かれていた。
 いつも通り。小テストくらいは満点を取れないと、成績に響いてしまう。
 何とか安心できる点数を取ることができて、雨音は一先ず安心した。

「小森さん、小森さん」

 折角安心できたのに。
 教壇の傍から離れようとした雨音は、掠れた小さな声に歩みを止めた。
 声が聞こえてきた方向に目を向ければ、教壇の前の席に座る一晴が期待を込めた目を向けている。

「何ですか」

 雨音も同じく小さく押し殺した声で言う。何だか内緒話をしているようだ。

「何点だった?」

 声を出すことは憚られたから、一瞬だけテストを見せた。
 小さな文字が書かれた紙を見て、一晴は目を丸くする。何度かパクパクと口を動かした。

「……すげ」

 小テストで満点を取れることの何がすごいのか。
 雨音からしてみれば、小テストで満点を取ることは当たり前のこと。大げさに一晴が驚く理由が分からない。
 けれど、一晴は確かに笑って褒めていた。

「成瀬くん」

 やがて一晴の名前も呼ばれ、席を立ち上がる。雨音はそそくさと自分の席に戻った。

「ちゃんと勉強するように。定期テストにもでますからね」

 一晴が動き出せば、自然とその周りには人が集まる。
 教壇の周りには数人の男子生徒の集団ができていて、次に呼ばれた女子生徒が怪訝な顔をしていた。
 少し離れた場所まで移動した男子生徒達は、中心にいる一晴の答案を覗き込んでいる。
 数秒の沈黙の後、くぐもった一晴の声が聞こえてきた。

「うわ、終わった」

 いつもの飄々とした様子は消え、心底絶望した顔をする。
 周りの男子生徒達は、そんな一晴を見て各々好き勝手に慰めたり揶揄ったりしていた。

「これ補習コースだわ」
「まじで?」
「いやほんと。やらかした」

 けれど、当の一晴自身もまるで他人事のように笑っていた。
 補習が確定したことなどさほど重要ではないようである。補習常習犯にとっては、むしろ当たり前の域に達しているのかもしれない。
 雨音は窓際の席から、気付かないうちにその様子を見続けていた。
 心配、というほどのものではない。ただ、ほんの少しだけ。

(……大丈夫、なのかな)

 そんな考えが浮かんでしまったことに、雨音は自分でも少し驚いた。