雨は嫌いですか、私は好きです

 顔を覗かせて前を見る。道路を挟んだ先の塀が見えた。

「小森さん、濡れてない?」
「へっ? わ、私は別に……」

 頭上から声が降ってきて顔を上げると、ちょうど見下ろした一晴と目が合った。
 その近すぎる距離に、雨音は息を呑む。
 傘の内側は思っていたより狭くて、ほんの少し動けばぶつかりそうだった。

「ほんと?」

 一晴はまだ少し身を乗り出したまま、雨音の顔を覗き込んでくる。
 さっき車の水をまともに被ったせいで、肩口やズボンの裾がぐっしょりと濡れていた。

「……成瀬さんの方が、濡れてます」
「あっはは。だね」

 自分の足を見下ろして、一晴は場違いな高笑いをした。

「最悪だぁ。めっちゃ冷たい」

 そう言いながらも、傘を持つ手はしっかりと雨音の方へ傾けられたまま。
 そのことに気付いてしまって、雨音は少しだけ視線を落とす。
 どうして、わざわざ庇うようなことをするのだろう。
 ほんの一瞬のことだったのに、さっき肩に触れた腕の感触がまだ残っている気がする。

「ごめん」
「え?」

 不意をついたその言葉は、上手く雨音の耳に届かなかった。
 上擦った声を上げて首を貸してる雨音を見て、一晴は照れ隠しをするように笑う。

「急に前出たから、びっくりしたでしょ」
「……別に」

 その返事を聞いて、一晴は少しだけ安心したように笑った。

「よかった」

 一晴はさらっと自然な流れでそう言った。言われて、雨音の胸の奥がどくんと鳴る。
 大きな交差点の信号が赤に変わり、二人は並んで立ち止まった。
 歩道には同じ学校の生徒達も何人かいて、それぞれ傘を差して帰路についている。

「でもさ、さっきの話」
「……掃除のことですか」
「うん」

 雨脚はまだ強い。
 アスファルトに叩きつける音が、二人の間の沈黙を埋めている。

「嫌じゃないの?」

 感情を押し殺した、一斉にしては随分と静かな声だった。
 雨音は少しだけ考えて、それから小さく息を吐く。

「嫌、というより……慣れてる、だけです」

 頼まれたら断れない。気付いたらいつも最後まで残っている。
 それが、ただ当たり前になっているだけ。
 嫌だとか、迷惑だとか、そういった思いは何も無い。

「……そっか」

 一晴はそれ以上何も言わなかった。
 信号が青に変わり、二人はまた歩き出す。しかし、信号を渡りきってから数歩歩いたところで、立ち止まった一晴がぽつりと呟いた。

「俺さ……そういうの、あんま好きじゃない」

 雨音は思わず顔を上げる。
 一晴は前を見たままだった。 いつもの軽い笑顔ではなくて、少しだけ真面目な横顔。

「小森さんが嫌じゃないなら、まあいいんだけど。なんかムカつく」

 その言葉が妙に真っ直ぐで、雨音は返事ができなくなった。