雨は嫌いですか、私は好きです

 食べ終わったトーストの皿を流しに運び、玄関に向かうとリビングに向かって「行ってきます」と声を掛ける。
 リビングの中から聞こえる母の「行ってらっしゃい」という声を聞き流し、玄関の扉を開けた。
 玄関を出ると、眩しい光が目に飛び込んでくる。
 雲ひとつない青空。昨日の湿り気は、もう何処にも残っていない。
 雨音はそんな空を思わず見上げて、見てはいけないものを見てしまったようにすぐに視線を逸らした。

(やっぱり、晴れか……)

 小さく肩を落とし、家の門を開けて歩き出す。
 今日の雨音の手には、昨日のビニール傘はない。当たり前だ。晴れ予報が出ている今日は必要ないのだから。
 いつもの通学路をいつもの時間通りいつもの速さで歩く。
 道端には、昨夜の雨粒を名残惜しそうに抱えた紫陽花が。排水溝の端には、乾ききらない小さな水たまりが見える。
 そのどれもが、昨日の帰り道での時間を思い出させた。

「……はあ」

 無意識に溜息が零れる。これで何度目なのか自分でも分からない。
 ただ単に、偶然雨音が傘を持っていただけだ。そこに偶然傘を持っていなかった一晴がいただけ。
 もしも、二人の女子生徒に掃除を押し付けられなければ、もっと早く家に帰っていた。
 昨日の出来事は、きっと偶然が重なっただけ。

『入れてくれません? 駅までじゃなくていいです。もう校門出るまででもいいです』

 駅までではなく、校門を出た瞬間にでも真っ直ぐ家に帰れば良かったのかもしれない。
 そんなことを考えたって、結局は一緒に駅まで相合傘をしながら向かったわけなのだが。

「今日って歴史テストだっけ?」
「嘘だろ!? やばい、忘れてた」
「マジで? 一晴、次欠点だったら補習じゃなかった? 」 
「もう前より一点でも落としたら確定で補習」

 学校の校門が見えてきた時、そんな会話がやけにはっきりと雨音の耳に届いた。
 雨音は、歩みを止める。
 向こう側から背の高い影が歩いてくるのが見えた。
 一晴だ。
 隣には友達がいて、楽しそうに何かを話している。昨日、雨の中で見せた表情とは違う、クラスで見るいつもの顔。
 一晴は立ち止まる雨音には気づかないまま、友達と笑いながら校門を潜っていく。
 雨音は道の端に立ち尽くしたまま、その背中を見送った。

(……そっか)

 胸の奥が、少しだけ静かに沈む。

(私達は、ただのクラスメイトだもん)

 それ以上でも、以下でもない。昨日の駅までの十五分は、きっと特別でも何でもなかったのだ。
 青空は、何処までも澄んでいる。
 それなのに、胸の奥は昨日のあの時間に囚われたままだった。