雨は嫌いですか、私は好きです


「だから、避けた。見なきゃ、気にしなくて済むかなって。全然、無理だったけど」

 短く吐き出した後、しばらく黙り込んだ。
 無言の間に鳴り響く雨の音に耳を澄ませながらも、雨音は何も言えない。言葉が見つからなかった。
 ただ、抱き締められたまま、その声を受け止めることしかできない。
 こんな風に思われていたなんて知らなかった。気づけなかった。
 けれど、「嬉しい」なんて簡単な言葉では足りないくらい、胸の奥が熱くなる。それと同時に、苦しくもなった。
 こんな風に、一晴を悩ませていたことに。

「……小森さんはさ」

 一晴が少しだけ顔を上げ、微かに雨音の身体を離した。
 二の腕辺りを掴んだまま、自身の肩よりもずっと下にある雨音の顔を見下ろす。

「どう思ってたの? 俺のこと」

 心臓が、大きく跳ねた。
 逃げられないくらい近くで、答えを求められる。けれど、その音は今はもう遠くて。
 二人の間にあるのは、言葉と呼吸と、触れている体温だけだった。

「え、っと……その……」

 いざ問われると、すぐには言葉が出てこない。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、何から言えばいいのか分からないのだ。
 少しだけ視線を落とし、濡れた地面に落ちる雨粒をぼんやりと見つめる。

「……初めは」

 やっとの思いで声を絞り出したけれど、思っていたよりも小さくて頼りない声だった。

「元気で、明るい人だなって」

 言いながら自分でも分かる。それだけじゃないのに、と。
 そんな簡単な言葉で片付けられるはずがないのに、それ以上が出てこない。
 言葉にしようとすると、上手く形にならない。

「……誰とでも話してて、いつも、楽しそうで」

 ついさっきまでのことが脳裏を過る。
 あの絶妙に触れられそうで触れられない距離。
 あの無邪気で屈託のない笑い声。
 自分には向けられていなかった表情。
 全部、知る必要も知ることもなかったはずのものだった。

「……いいなって、思ってた」

 小さく付け足したその言葉は、紛れもない本音だった。
 羨ましい、という気持ちも混ざっている。けれど、それだけでもない。
 自分でも整理できていない感情が、糸となって複雑に絡まっている。
 ぎゅっと、指先を握り、少しだけ勇気を出した。

「でも、それだけじゃ、なくて……一緒にいると、楽だなとも思ってた」

 言葉にする度に、胸の奥が熱くなる。
 その理由が何であるのか、雨音は知らない。

「変に気を遣わなくていいし。帰り道も、なんか……そのまま歩いてられる感じがして」

 そんなことを言いたいわけではないのに、ふさわしい言葉が見つからなくて上手くまとめられなかった。
 だから、辞書で引いた言葉を適当に並べたようなことしか言えない。

「……落ち着くなって、思ってた」

 最後の言葉は、ほとんど呟きだった。それでも、ちゃんと伝わってほしいと思った。
 少しだけ間が空く。激しく打ち付ける雨の音がその隙間を埋めた。
 言ってしまった後で急に恥ずかしくなり、雨音は深く俯く。
 こんなことをこんな風に言うつもりではなかったのに、それでも止められなかった。
 言葉にしてしまったら、もう隠せない。逃げられない。
 それでも、ちゃんと、伝えられた気がして何処かでほっと安心する。