雨は嫌いですか、私は好きです

 雨音の背中に回した腕の力が、離す気なんて最初からなかったように強くなる。
 一晴は雨音の肩口に顔を埋めたまま、しばらく何も言わなかった。
 荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
 けれど、腕だけは緩まない。むしろ、腕の中の存在を確かめるように、何度も力が籠もった。

「……最初は」

 低い声が耳元で落ちる。さっきよりも静かなのに、何処か震えている。
 湿気で暴れる雨音の癖っ毛が、一晴の頬に張り付いた。

「なんとも思ってなかったんだよ。俺らのクラスって騒がしい奴が多いから、珍しく静かな子がいるなって程度にしか思ってなかった」

 ぽつり、ぽつりと、言葉を選ぶようにゆっくり続く。

「ただ、話しやすようだなって思ったから、いざ話し掛けて」

 少しだけ、自嘲するような息が首筋に当たる。
 初めて一晴を傘の中に入れた日、背の低い雨音の掲げる傘に入り切らなかった一晴が首を痛めたことがあった。
 あの時、一度も話したことがなかった相手だったのに、やけに心地良かったのを覚えている。

「それで、気付いたら……隣にいるの、当たり前になってて」

 親ですら、こんなにも近く身を寄せることなんて無かった。だから、こういう時どうすればいいのか分からない。
 行き場を失っていた両腕は、ゆっくりと一晴の背に回った。
 ぎこちなく続く言葉を聞き逃したくなくて、息を止める。

「帰りもさ、別に約束してるわけじゃないのに、いつの間にか一緒に歩いてて」

 その声は何処か懐かしそうで、それと同時に痛そうでもあった。
 過去を思い返し、自分自身の言動に傷付いているような。

「……ああいうの、俺だけだと思ってた」

 一瞬、言葉が途切れた。
 抱き締める腕に、また力が入る。

「勝手に、そう思ってた。でもさ」

 ほんの少しだけ、顔を上げる気配を感じる。雨音は、一晴の肩越しに真っ直ぐと前を見続けた。

「普通に他の奴とも話してるし、笑ってるし」

 掠れた声が聞こえて、雨音ははっと息を呑んだ。
 思い返せば、親と用務員の阿部さん以外、目を見て話すことができなかったはずだった。

「それ見てると……なんか、分かんなくなって」

 言葉が詰まっても、息が途切れても、無理矢理続けた。

「俺だけじゃないんだって思ったら、急に……嫌でさ」

 それまでの芯のある言葉と反して、その一言はやけに小さい。けれど、はっきりとした感情が乗っていた。

「仲良くすんなとか、そういうんじゃなくて」

 上手く言葉にできないのか、少しだけ言い淀む。
 雨の匂いに混ざって、シンプルな洗剤らしい洗剤の匂いが鼻腔を擽った。
 その洗剤の匂いを感じた時、雨音は距離の近さにようやく現実味を覚えた。

「……小森さんの隣、取られんのが嫌だった」

 それは、冗談だと一蹴するには真っ直ぐ過ぎて。
 勘違いだと思うには現実味を帯び過ぎていて。
 雨音には、ただその言葉を飲み込んで真に受けることしかできなかった。