雨は嫌いですか、私は好きです

 雨は容赦なく降り続いていた。
 屋根もない道の上で、二人ともすっかり濡れている。制服は肌に張り付いて、冷たさがじわじわと体の奥まで染みてくる。
 それでも、どちらも動かなかった。
 雨音は裾を掴んだまま、一晴は振り返らないまま、ただ、その場に立ち尽くしている。
 沈黙が重く降り積もった。
 雨の音だけが、その間を埋めていく。

「……なんで」

 ぽつりと、同じ「なんで」がまた零れる。
 それは自分でも止められなくて、何度口を閉じても次の瞬間には開いてしまった。

「なんで、あんな態度とるの」

 あんな態度。それを口にすると、思い返せばきりがない光景ばかりが脳裏に蘇る。
 いきなり避け始めたこと。
 意地でも顔を見ようとしなかったこと。
 名前を呼ばなくなったこと。
 そっけない態度を取り始めたこと。
 全部、現実だった。嘘であってほしいと思ったのに、何度も思い知らされたのだ。

「なんで、急に……」

 声が震えて、息が乱れる。
 それでも止められない。

「なんで、何も言ってくれないの」

 何度も、同じことを繰り返す。
 答えなんて返ってこないかもしれないのに。それでも、言わずにはいられなかった。

「……なんで」

 最後の一言は、ほとんど呟きだった。
 雨に溶けて消えていき、無かったことのように静寂が広がる。
 また逃げられてしまうのか。そう思った、その時。
 僅かに一晴の肩が小さく動いた。
 それだけで、雨音の息は止まった。沈黙が、一つ深くなる。

「小森さんの隣は……」

 低く、掠れた声は今までとは違う何処か押し殺した響きがあった。
 思わず、制服の裾を掴む手に力が入る。
 一晴はまだ振り返らない。それでも、言葉は続いた。

「俺の特等席だって、言ったのに」

 一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。
 何を言われたのか、頭が追いつかない。ただ、その言葉だけが耳に残る。

『小森さんの隣。ここ、俺の特等席だから』

 思い出した。何気ない会話の中で、冗談みたいに言われた言葉を。
 軽く笑って、流したはずの一言。
 それが今、こんな風に返ってくるなんて思わなかった。

「……なのに、あん時に小森さんの隣にいたのは藤代で。……平気な顔で喋って」

 雨音の手が僅かに強張る。
 どうして、ここで寮の名前が出てくるのだ。そう問い掛ける必要はなかった。
 一晴の言う“あん時”がいつのことであるのか、すぐに分かったから。
 珍しく、投稿してきた雨音に一晴が話し掛けてきた日の昼休み、雨音は凌と廊下で立ち話をしていた。
 その時に何かの視線を感じたけれど、それは一晴だったのだ。

「……普通に、笑ってて」

 ぎゅっと、奥歯を噛み締める気配がする。
 背中越しでも分かるくらいに、感情が滲んでいた。

「なんも思ってないみたいにしてんの、見てらんねえよ」

 その一言は、全ての鬱憤を吐き出すようだった。抑えていたものが、堰を切る。
 雨音の呼吸が止まった。
 理解が遅れてやってくる。
 一晴が口にしたそれは、雨音を避けていた理由。距離を取っていた理由。全部、そこに繋がっていた。

「……え、え?」

 それらに気付いた瞬間、言葉が出てこなくなって何も言えなかった。
 一晴はまだ振り返らない。けれど、その背中はさっきまでよりも近く感じた。
 触れているはずの距離が、やっと現実になる。