雨は嫌いですか、私は好きです

 隠せているつもりだったのに、とっくに気付かれている。

「別に……」

 否定しようとしたけれど、上手く言葉が続かない。何を言っても、薄っぺらい言葉になる気がした。
 今さら取り繕ったところで、さっきの自分の顔を見られてしまっている。
 凌はそれ以上は追わなかった。問い詰めるでもなく、ただ一歩分だけ距離を保ったまま、いつものように軽く肩を竦める。

「折角、こういう日に一緒に帰るくらいの関係なんだからさ」

 雨の音が少しだけ強くなる。屋根を叩く音が、会話の隙間を埋めるみたいに響いた。
 その言葉に、これまでの記憶が蘇る。
 並んで歩く帰り道。
 特別なことなんて何もなくて、どうでもいい話ばかりして。
 くだらないことで笑って。
 当たり前みたいにあったはずの時間。それが、当たり前じゃなくなるかもしれないという現実が、じわじわと輪郭を持つ。

「美術室から二人が帰っていくところ見るの好きだったんだよね。だから、それが無くなるの嫌だわ」

 あっさりとした言い方だったけれど、その奥にある本音は隠れていなかった。
 凌にとっても、それは“普通のこと”ではなく、大事なものなのだと分かる。
 自分だけの問題ではない。そう突きつけられた気がした。

「……小森さんじゃないと」

 凌は少しだけ真面目な顔になり、さっきまでの軽さがを消した声を出した。

「あいつ、振り返らないよ」

 その一言が決定打だった。
 息が詰まり、逃げ場が無くなる。けれど同時に、曖昧だったものが形になった。
 どうして、自分がここにいるのか。
 どうして、こんなにも足が止まらないのか。
 その理由が、はっきりと浮かび上がる。

(私じゃないと、振り返らない……)

 ぐっと拳を握ると、指先に力が籠もって僅かに震えた。
 怖い。
 また、突き放されるかもしれない。さっきみたいに、逃げられるかもしれない。
 それでも、このまま何も知らないままでいる方が、ずっと怖かった。
 迷いが形を変え、躊躇いだったものが僅かに前へ進む力に変わっていく。

「……だからさ」

 凌はいつもの微笑みを浮かべて、少しだけ明るくなった声で言う。

「行った方がいいんじゃない?」
「藤代、君……」

 軽く背中を押された。強くはないのに、前に踏み出すには十分すぎるほどの力。
 ほんの一歩分、前に進む。
 慌てて振り返って名前を呼ぶと、凌はひらひらと手を振った。雨音を見るでもなく、少しだけ視線を逸らして。

「後悔するのは二人だかんね」

 ぶっきらぼうな言い方なのに、その裏にある優しさはちゃんと伝わった。
 押しつけるでもなく、突き放すでもなく。ただ、選ばせてくれている。
 その上で、ちゃんと背中を押してくれている。そのことが、少しだけ心強かった。
 足先に力が戻る。さっきまで動かなかったはずなのに。
 今度は、迷うよりも先に身体が反応していた。
 雨の中へ一歩踏み出す。傘はささない、さす必要もない。
 冷たい水がすぐに靴の中に染み込んできた。
 それでも、止まらない。振り返らない。前だけを見て、走り出すために。