雨は嫌いですか、私は好きです

 その反応に、胸の奥がちくりと痛む。
 もう分かりきったことなのに、どうにも引き下がる気になれず、雨音だけは顔を上げた。
 視線を逸らしたままでは、負けたみたいで嫌だった。

「さっきも、ずっと前向いていたし」

 自分でもやめればいいのにと思うのに、気が付けば一言二言、嫌味が口を衝いて出る。
 声は思ったよりも落ち着いていて、余計に自分の内側とのズレを感じた。

「話し掛けられても、気付かないくらいには」

 これまでに何度も逃げ道を塞がれてきた。何度も「なんで」を繰り返して悩んだ。
 だから、これは雨音なりの仕返しの一つだった。
 少しずつ逃げ道を塞ぐように、一晴の弱みを見つけるために、言葉を重ねていく。
 もしかすれば、本音をぶつけてくれるかもしれないと思ったから。
 たとえそれが、傷つく言葉でもいいとさえ思っていた。
 沈黙が落ち。雨の音がやけに近づく。
 時間だけが引き延ばされていくみたいで、呼吸の仕方を忘れそうになる。
 けれど、そんな願いも虚しく。
 一晴は一瞬だけ視線を外して、溜息を吐いた。
 その仕草があまりにもあっさりしていて、期待していた何かが音もなく崩れる。

「……だから?」

 初めて聞く、鋭くて低い声が返ってくる。
 面倒くさそうに吐き捨てた一晴は、一瞬だけ雨音を見た。その目は、嫌いなものを見るような、本能的な凄みを帯びていて。
 思わず、息が詰まる。

「別に、どうでもよくない?」

 その一言で、全部が切り落とされた。言葉も、距離も、今まで積み上げてきたものも。
 これはただ避けられているわけではない。
 はっきりと、線を引かれたのだと理解してしまう。
 続けようとしていた言葉が、喉の奥で止まった。舌の上で形になりかけていたはずの言葉が、崩れて消えていく。

「……どうでもよくは」

 ない、と言い掛けて飲み込む。
 言ってしまったら、何かが決定的に壊れそうで。これ以上、壊れるものなんてないはずなのに。それでも怖い。
 一晴はもう雨音を見ていなかった。
 最初から興味なんてなかったように。否、クラスメイトどころか、赤の他人であると言わんばかりに。
 視界の端で、その横顔が遠ざかっていく。

「じゃ」

 止める間もなく、振り返ることもなく、足早に横を通り過ぎていく。
 すれ違いざまに、僅かに風が揺れた。それだけで、妙に現実味があった。
 そのまま、離れていく足音が遠ざかっていく。一定のリズムで迷いなく、追いかける隙すら与えないように。
 たった一人取り残された廊下に、止む気配のない激しい雨の音だけが響く。
 窓の外は、相変わらず白く滲んでいて。その向こうにあるはずの景色も、よく見えない。
 まるで、さっきまでの関係みたいに。

「――ああ、なんでこうなっちゃうんだろう」

 上手く考えることのできない、疲弊した脳でぼんやりと思う。
 言葉にした瞬間、少しだけ現実になるのが怖かったのに。それでも、口から零れてしまった。
 また、他人に戻っちゃうのかな、と。
 さっきまで、ほんの少しだけ近くにあったはずの距離が、気づけば最初よりも遠くなっていた。
 指先に力を入れても、何も掴めない。
 胸の奥に残った言葉は、もう行き場がなくて。ただ、静かに沈んでいくだけだった。