雨は嫌いですか、私は好きです

 けれど、その一瞬の間が余計に怪しい。
 凌はじっとこちらを見たあと、はあ、と小さく息を吐いた。

「じゃあさ。なんで成瀬、あんなあからさまに無視してんの」

 心臓が跳ねて、雨音の肩が小さく揺れた。
 言葉にされると逃げ場が無くなって、完全に追い詰められる。

「無視とかじゃないし」

 正直に話すわけにもいかず反射的に返すけれど、その声は僅かに硬かった。

「いやいや、どう見てもだろ。さっきから一回もこっち見てないし」

 凌はちらっと前を見る。その視線にいるのは、やはり一晴だった。
 睨める付けるような目をしたかと思うと、また雨音の方に顔を寄せる。

「昨日とか、なんかあった?」

 昨日。その一言で、胸の奥がざわつくのを感じた。
 思い出したくないのに、勝手に浮かび上がってくる気配。視線が無意識に前へ向きかけて、慌てて逸らす。

「……何もないってば」

 少しだけ語気を強めて言う。それでも、完全には押し返しきれない。

「ほんとに?」
「ほんとに」

 それ以上何も聞かせないように、俯いたままはっきりと言い切る。
 自分でも驚くくらい、言葉が早く出た。
 凌は少しだけ黙り込んでから、

「……そっか」

 とだけ言った。
 けれど、その目は納得していないのが分かる。ほんの一瞬だけ何か言い掛けて、結局飲み込んだ。
 前では担任の話が続いている。
 黒板にチョークが当たる音。
 誰かがページを捲る乾いた音。
 教室の空気はいつも通りで、その中自分だけが少しずれているようだった。

「小森さんがそんな顔してるの、初めて見たわ」

 何気ない一言であるはずなのに、やけに鋭い矢となって言葉が刺さる。
 自覚なんてなかったのに、急に突きつけられたみたいで。慌てて表情を整えようとするけれど、上手くいかない。

「別に、普通だけど」
「全然普通じゃない」

 少しだけ笑うような声なのに、妙に真剣に間髪入れずに言った。
 逃げ場が、また一つ塞がれる。
 何かこの場を切り抜けるために言い返そうとしたけれど。

「おーい、そこ。静かにしろー」

 担任の声が飛んできて、それは途切れてしまった。
 はっとして、二人同時に口を噤む。
 一拍遅れて、周りからくすくすと笑いが漏れた。空気がふっと緩む。

「すみませーん」

 凌が軽く手を挙げて誤魔化すと、また小さな笑いが広がった。
 教室はすぐに、何事もなかったように元の流れに戻っていく。
 けれど、前の席の一晴は、やっぱり振り返らなかった。笑う様子もなく、ただ前を向いたまま。
 さっきのやりとりすら、耳に入っていないようで。
 その横顔は見えない。背中だけが、やけに遠く感じる。
 まるで後ろのことなんて、最初から存在していないように。
 その背中を見つめながら、雨音はぎゅっと指先を握り締める。爪が食い込む感覚だけが、やけにはっきりしていた。