一晴は、最後まで雨音を見ようとはしない。担任の言葉にも、大して悪びれる様子もなく肩を竦めるだけ。
「風邪を引いても知らないぞ」
「えー、先生冷たくないっすか」
揶揄うような口調に、教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
その空気の後ろで、雨音の表情はぴたりと固まっていた。
さっきまで胸の奥で揺れていたものが、急に冷たく凍りついたように動かない。
視線だけが、行き場をなくして机の上に落ちる。
「……俺の勘違いだったらいいけどさ」
第一印象は、いつも眠そうに目を細めたマイペースな人だった。
あまり他の人と関わろうとはせず、自分の席でほとんどの時間を寝て過ごすような人。
席が隣同士にならなければ、きっと存在にすら気付かないままだったのだろう。それが、今や心の内を読み解かれてしまうまでに親しんでしまっている。
雨音は、逃げ道を塞がれて箱庭で逃げ惑う小動物の如き気持ちになった。
恐る恐る横を見ると、凌が少しだけ顔を寄せてきている。
「成瀬と何かあった?」
凌だからこそ、その違和感に気付いてしまうのだろう。
的確に雨音の図星を指してくるあたり、今に始まったことではないはず。ずっと前から、その違和感には気付いていたに違いない。
けれど、それを誤魔化すように、雨音はすぐに首を横に振った。
「何もないよ」
反射で出た言葉は、自分でも少し早すぎたと思った。
凌はじっとこちらを見たまま、少しだけ眉を顰める。それから、声を落として、やけに真剣な眼差しを向けた。
「……成瀬がなんかした?」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
人間というのは、こうも自分に都合の悪い状況が訪れた時、逃げたくなる。
図星だったと認めざるをえない状況なのに、認めた瞬間に何かが崩れてしまいそうで。
「してないって」
さっきよりも強く、言葉を重ねる。
けれど、自分でも分かるくらいに声が上手く整っていなかった。
凌はそれ以上は何も言わない。ただ、小さく「そっか」とだけ返して前を向く。その気遣いが、余計に苦しかった。
黒板の方を見ても、担任の声はほとんど頭に入ってこない。
前の席にいる一晴の背中だけが、やけにくっきりと目に入る。
(見てすら、くれないんだ)
その事実が、じわじわと胸の奥に沈んでいった。
「……いや、絶対なんかあるだろ」
「ないって言ってるじゃん」
「いやその顔で“ない”は無理あるって」
小さく息を詰まらせた雨音は、不自然なほどに視線を落とす。
視線を逸らしたまま、これ以上踏み込まれないように言葉を探すけれど、上手く出てこない。
「別に……ほんとに、何もない」
今度は少しだけ間を置いて、言い直す。
「風邪を引いても知らないぞ」
「えー、先生冷たくないっすか」
揶揄うような口調に、教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。
その空気の後ろで、雨音の表情はぴたりと固まっていた。
さっきまで胸の奥で揺れていたものが、急に冷たく凍りついたように動かない。
視線だけが、行き場をなくして机の上に落ちる。
「……俺の勘違いだったらいいけどさ」
第一印象は、いつも眠そうに目を細めたマイペースな人だった。
あまり他の人と関わろうとはせず、自分の席でほとんどの時間を寝て過ごすような人。
席が隣同士にならなければ、きっと存在にすら気付かないままだったのだろう。それが、今や心の内を読み解かれてしまうまでに親しんでしまっている。
雨音は、逃げ道を塞がれて箱庭で逃げ惑う小動物の如き気持ちになった。
恐る恐る横を見ると、凌が少しだけ顔を寄せてきている。
「成瀬と何かあった?」
凌だからこそ、その違和感に気付いてしまうのだろう。
的確に雨音の図星を指してくるあたり、今に始まったことではないはず。ずっと前から、その違和感には気付いていたに違いない。
けれど、それを誤魔化すように、雨音はすぐに首を横に振った。
「何もないよ」
反射で出た言葉は、自分でも少し早すぎたと思った。
凌はじっとこちらを見たまま、少しだけ眉を顰める。それから、声を落として、やけに真剣な眼差しを向けた。
「……成瀬がなんかした?」
心臓が、どくんと大きく鳴った。
人間というのは、こうも自分に都合の悪い状況が訪れた時、逃げたくなる。
図星だったと認めざるをえない状況なのに、認めた瞬間に何かが崩れてしまいそうで。
「してないって」
さっきよりも強く、言葉を重ねる。
けれど、自分でも分かるくらいに声が上手く整っていなかった。
凌はそれ以上は何も言わない。ただ、小さく「そっか」とだけ返して前を向く。その気遣いが、余計に苦しかった。
黒板の方を見ても、担任の声はほとんど頭に入ってこない。
前の席にいる一晴の背中だけが、やけにくっきりと目に入る。
(見てすら、くれないんだ)
その事実が、じわじわと胸の奥に沈んでいった。
「……いや、絶対なんかあるだろ」
「ないって言ってるじゃん」
「いやその顔で“ない”は無理あるって」
小さく息を詰まらせた雨音は、不自然なほどに視線を落とす。
視線を逸らしたまま、これ以上踏み込まれないように言葉を探すけれど、上手く出てこない。
「別に……ほんとに、何もない」
今度は少しだけ間を置いて、言い直す。



