想いと共に花と散る

 夜が白み始めたばかりの屯所は、異様な静けさに包まれていた。
 いつもなら聞こえてくるはずの笑い声も、冗談交じりの軽口もない。
 代わりにあるのは、衣擦れの音、刀を腰に差す金属の擦れる音、そして押し殺された息遣いだけだった。
 庭にはすでに隊士達が集まっており、一足遅く顔を出した雪は端の方に身を寄せた。
 誰一人として無駄口を叩く者はいない。それぞれが黙々と身支度を整え、刀の位置を確かめ、袖を引き結ぶ。
 雪はその輪の外側で、ただ息を詰めてその光景を見ていた。
 昨日までと何も変わらないはずの屯所が、まるで別の場所のように感じられる。

「……落ち着かねぇ顔してんな」

 背後から低い声が落ちてきて、雪は肩を跳ねさせた。振り返ると、土方が腕を組んで立っている。
 普段以上に整えられた身なりは、これから起きることを否応にも思い知らしめた。

「す、すみません……」
「謝るこたぁねぇ。今日からは、誰だってそうなる」

 雪から外された視線は、整列し始める隊士達へと向けられる。
 その背中はどれも緊張に張り詰めていて、しかし逃げる気配は微塵もなかった。
 全員が己の志と共に、覚悟の上で動いているのである。

「御所の警護だ。失敗は許されねぇ」
「……はい」
「名もない浪士が、都の要を守る。……ふっ、上等じゃねぇか。ここで踏み外せば、終わりだがな」

 冗談めかした言い方とは裏腹に、土方の目は冴え切っていた。それは鬼の目ではなく、責任を背負う者の目。
 半端な覚悟なんて許されないのである。将軍様を守るため、そんな言葉だけで表していけないのだ。

「雪」
「はい」
「俺の後ろから離れんな。今日は“守る側”だ。何が起きるか分からねぇ」
「分かっています」
「……覚悟を決めろ」

 雪は小さく、しかし確かに頷いた。覚悟は、ずっと前に決まっている。
 月下の鬼に助けられ、皆に慕われる剣術家に居場所を与えられ、若き剣士達の背中を見てきた。
 自分が彼らと同じ様になれるとは思っていない。けれど、だからといって彼らに守られてばかりではこの場にいる意味がない。
 身体は小さかろうと、刀は振るえなかろうと、雪は、壬生浪士組の一員、土方歳三の小姓なのだ。

「覚悟は、決まっています」
「……ああ。ならば征くぞ、己の役割を果たすためにな」

 その言葉は雪だけに向けられたものではない。この庭にいる隊士達全員へと向けられた、覚悟の尾を締める言葉であった。