穏やかな時間。何も変わらない一日。その、はずだった。
(……ん?)
廊下の曲がり角。ふと、誰かの視線を感じて振り返る。
鮮やかな色味の着物の裾が、隠れきれずに曲がり角からはみ出ている。
「琴さん?」
そこに立っていたのは、琴だった。
彼女は曲がり角から顔を出し、じっと雪を見つめる。必然的に二人の視線が合った。
その表情は、いつもの柔らかなものではない。
視線は雪の首元、そして左手首へとゆっくりと落ちていく。じっと、まるで値踏みするように。
しばしの沈黙の後、曲がり角から出てきた琴は、貼り付けた笑みを浮かべて結城に近づいた。
「お疲れ様、結城さん」
「はい。琴さんこそ」
雪は小さく頭を下げて琴から視線を逸らした。
しかし、琴の視線は下がらない。それどころか、より興味深げに雪の首元を見た。
「それ……いつも身に着けていらっしゃいますね」
柔らかな声音が落ちた。だが、言葉の端に僅かな棘がある。
琴が指で首巻きを指し示したことで、雪は無意識に首元へ触れていた。
「そう、ですね……」
「……ふうん」
大切なものだと言ってしまえば、何故だか彼女に奪われてしまう気がした。
曖昧な返事をすると、短い相槌が返ってくる。
「形見、ですの?」
その問いに、雪は少しだけ目を伏せた。
形見と言えばそうだし、違うと言えばそうなる。形見とも、贈り物とも違う気がした。
もっと大きい、形見以上の想いがこれらには込められているのだ。
「……物は、いつか壊れますわ」
ふと、琴はそんなことを不敵な笑みを浮かべながら言った。
意味が分からず、雪は小さく首を傾げる。
「失くしたら、どうなさるの?」
一瞬、言葉に詰まった。失くすなんて考えたこともなかったのだ。
試されているとすぐに気付いた。ここで弱気な姿を晒せば、彼女の思う壺。
雪は真っ直ぐと琴の目を見て、はっきりと言いきった。
「……失くしません。絶対に」
その言葉を聞いた瞬間、琴の口元がほんの僅かに歪む。
笑ったように見えた。だが、それは楽しげなものではない。静かに、何かを決めた者の笑みだ。
「……そう。大事になさってくださいね」
その言葉は祝福のようでいて、何処か呪いのようだった。
琴は踵を返し、廊下に微かな足音を響かせながら遠ざかっていく。
雪はその背を見送りながら、小さく首を傾げた。何かが、引っ掛かった。けれど、それが何かは分からない。
左手で首巻きに触れ、右手で左手首を押さえる。
布の感触は、いつも通りそこにある。温もりも、記憶も。大切なものも、全部。
(……ん?)
廊下の曲がり角。ふと、誰かの視線を感じて振り返る。
鮮やかな色味の着物の裾が、隠れきれずに曲がり角からはみ出ている。
「琴さん?」
そこに立っていたのは、琴だった。
彼女は曲がり角から顔を出し、じっと雪を見つめる。必然的に二人の視線が合った。
その表情は、いつもの柔らかなものではない。
視線は雪の首元、そして左手首へとゆっくりと落ちていく。じっと、まるで値踏みするように。
しばしの沈黙の後、曲がり角から出てきた琴は、貼り付けた笑みを浮かべて結城に近づいた。
「お疲れ様、結城さん」
「はい。琴さんこそ」
雪は小さく頭を下げて琴から視線を逸らした。
しかし、琴の視線は下がらない。それどころか、より興味深げに雪の首元を見た。
「それ……いつも身に着けていらっしゃいますね」
柔らかな声音が落ちた。だが、言葉の端に僅かな棘がある。
琴が指で首巻きを指し示したことで、雪は無意識に首元へ触れていた。
「そう、ですね……」
「……ふうん」
大切なものだと言ってしまえば、何故だか彼女に奪われてしまう気がした。
曖昧な返事をすると、短い相槌が返ってくる。
「形見、ですの?」
その問いに、雪は少しだけ目を伏せた。
形見と言えばそうだし、違うと言えばそうなる。形見とも、贈り物とも違う気がした。
もっと大きい、形見以上の想いがこれらには込められているのだ。
「……物は、いつか壊れますわ」
ふと、琴はそんなことを不敵な笑みを浮かべながら言った。
意味が分からず、雪は小さく首を傾げる。
「失くしたら、どうなさるの?」
一瞬、言葉に詰まった。失くすなんて考えたこともなかったのだ。
試されているとすぐに気付いた。ここで弱気な姿を晒せば、彼女の思う壺。
雪は真っ直ぐと琴の目を見て、はっきりと言いきった。
「……失くしません。絶対に」
その言葉を聞いた瞬間、琴の口元がほんの僅かに歪む。
笑ったように見えた。だが、それは楽しげなものではない。静かに、何かを決めた者の笑みだ。
「……そう。大事になさってくださいね」
その言葉は祝福のようでいて、何処か呪いのようだった。
琴は踵を返し、廊下に微かな足音を響かせながら遠ざかっていく。
雪はその背を見送りながら、小さく首を傾げた。何かが、引っ掛かった。けれど、それが何かは分からない。
左手で首巻きに触れ、右手で左手首を押さえる。
布の感触は、いつも通りそこにある。温もりも、記憶も。大切なものも、全部。



