想いと共に花と散る

 水で濡れていたから滑ったわけではない。
 桶は、まるで支えていた手が消えて落ちたように見えた。

「あ、れ……? なん、で……あれ? あれ……」

 屈んで拾い上げようとした。掴んで持ち上げようとした。
 それなのに、雪の小さな手は桶を掴むことなく掠る。確かに存在しているはずの手が、桶をすり抜けたのだ。
 
「雪殿! どうした!?」
「や、山崎さ……」

 自分でも混乱しているのが分かった。庭先から駆け寄ってくる山崎が目に入って、その名前を呼ぼうとすると上手く声が出せない。
 こんなこと、初めてだった。

「その右足……っ!」
「さっき、捻ってしまって」
「すぐに手当しよう。まだ包帯が残っているはずだ」
「だ、駄目です!」

 時間の経過と共に右足の腫れはより酷くなっていた。
 医術の心得がある山崎には、それが放っていては危険であるとすぐに理解できたのだ。
 けれど、手当てをしようと言い出した山崎を雪は叫んでまで制する。
 理由は明白だった。

「た、戦えない私よりも……まだ、戦える人に、使ってくださいっ」

 最早、それは密かな願いでもあった。
 戦場に出られない。戦えない。皆に守られてばかり。残っていても、負傷した隊士を助けることすらできない。
 
「そういうわけにはいかん! 君もまだ戦えるだろうっ!?」
「刀を握れない私に、一体何ができるって言うんですか!?」

 怪我をしているのは山崎も同じだ。彼の方がよっぽど傷付いている。
 身体中から血を流していて、息も絶え絶えではないか。
 それなのに、どうして自分のことは後回しにする。他人の不注意で折った怪我の心配を優先する。
 無条件な優しさがどれだけ残酷なのか、彼らが教えたというのに。

「……っ。刀を振るうことだけが全てはない」
「前はそれで許されたかもしれない。でも、今はそういうわけにはいかないでしょ!」
「何故、戦うことに固執するんだ! 君には君のできることが────」
「そうやって、今までも私を置いて行ったじゃん!」

 限界だった。ずっと前から限界だった。 
 何度手を伸ばしても振り払われて、いつも自分の知らない所で幾つもの命が散っていく。
 せめて傍にいることができれば、こんな後悔をせずとも済んだのに。
 守ると言って拒絶しているようにしか感じられなかったのだ。それが間違いであるとしても。