想いと共に花と散る

 それに気付いてしまったからか、西本願寺の境内はいつもより静かだった。
 人の気配はあるのに、声が少ない。
 まるで、皆が無意識に息を潜めているかのようだ。
 もう一度歩き出して境内を進んでいると、ふと人だかりが目に入った。
 目を凝らして見てみると、近藤が変わらず隊士達の輪の中心にいる。

「心配することはない」

 朗らかな声が、冬の空気を切り裂く。
 その一言で、場の空気が変わったのを感じた。

「上様は大阪におられる。そこが次の拠点になるだけだ。俺達は、これまで通り役目を果たせばいい」

 その言葉に、隊士達は安堵したように頷いた。笑顔すら浮かべる者もいる。
 雪は、少し離れた場所からその光景を見ていることしかできなかった。

(……本当に、そうなの?)

 疑う理由を並べようとすれば、いくらでも出てくる。王政復古の噂、町の空気、御陵衛士の顛末。
 それでも近藤は、信じることを選ぶ。
 いや、選ばざるを得ないのだ。
 その背中が、あまりにも真っ直ぐで。だからこそ、胸の奥が締め付けられる。

(この人は、崩れちゃ駄目なんだ)

 そう思った瞬間、ぞくりとした。
 崩れないものほど、折れたときの音は大きい。
 何度も何度も、限界を迎えて崩れていった者達を見てきたから、雪には分かる。

「雪」

 得も言われぬ恐怖に身を強張らせていると、ふいに背後から低い声が聞こえた。
 名を呼ばれて振り返ると、土方が建物の柱に寄り掛かってこちらをみている。
 腕を組み、視線を近藤の方を向けたまま口を噤んでいた。

「……聞きました?」
「全部な」

 短い返事をするだけで、それ以上の言葉は続けない。

「すごいですよね」

 雪は、近藤から目を離せないまま呟いた。
 どれだけ時代の荒波に飲まれようと、仲間と肩を組んで笑う近藤が視線の先にいる。

「この状況で、ああやって皆を安心させて……」

 それは、単なる雪の見解でしか無い。だから土方は答えようとはしない。
 ただ、僅かに口元を引き結ぶだけで、雪のことは見ないままだ。
 そんな彼の気配を背後で感じながらも、雪は動き出した集団を目で追った。

「信じてるんですね。幕府も、新撰組も」

 その言葉に、土方の視線がほんの一瞬だけ動いた。

「……ああ。あの人は、信じてる」

 それだけ。雪は、その言葉の足りなさに息を詰めた。
 土方は、続きを言わない。言えないのではない。言わないのだ。
 雪は、その先を考えるのをやめた。考えた瞬間、何かが決定的になってしまいそうで。
 再び、近藤の声が境内に響く。冬空に真っ直ぐ伸びる、迷いのない声。
 雪は、知らず拳を握っていた。
 西本願寺は、まだ彼らの屯所だった。だが、その空気はすでに「別れ」を孕んでいる。
 誰も口にはしない。
 それでも、分かっている。ここにいる時間は、もう長くないと。

 だが、雪は知らない。
 この後に、新撰組の、雪の運命を大きく揺れ動かす戦いが待っていることを。