想いと共に花と散る

 将軍が、大阪へ下った。
 その事実が新撰組全体に知れ渡ったのは、誰かが正式に告げたからではなかった。
 屯所のあちこちで囁かれた断片的な言葉が、次第に一つの形を結ぶ。逃げ場のない現実として広がっていったのだ。

「……聞いたか」
「ああ。上様、もう京都には戻らねぇらしい」
「じゃあ、俺達は……」

 誰も、その先を口にしない。問いだけが宙に浮かび、答えは何処にも落ちてこなかった。
 西本願寺の朝は、妙に騒がしかった。
 隊士達が廊下を行き交い、普段は聞こえない足音が重なり合う。
 怒鳴り声もなければ、号令もない。ただ、落ち着かない気配だけが渦を巻いていた。
 雪は、いつも通りに湯を沸かして茶を用意する。手は勝手に動く。だが、胸の奥がざわついて仕方がない。

(……大阪、か)

 その地名を思い浮かべるだけで、言いようのない不安が込み上げる。
 将軍が去った京都に、彼らが留まる意味はあるのか。
 誰も答えてくれない問いが、雪の中に積もっていく。

「雪君」

 名を呼ばれて振り返ると、井上が廊下の向こうから歩いてきた。
 いつものように穏やかな笑みを浮かべているが、何処か無理をしているように見える。

「しばらく、ばたついてしまいそうだ」
「……何か、決まったんですか」
「伏見だよ」

 一言だけ告げられたその地名に、雪は瞬きをする。

「伏見奉行所に、屯所を移すことになったんだ」

 命令なのか、決定事項なのか、井上自身にも分からない様子だった。
 ただ、決まってしまったことだけは確かなのだと言われたようだ。
 伏見。京都の外れ。人の目が多く、逃げ場のない場所。

(……西本願寺を、出るってこと?)

 その事実が、遅れて胸に落ちる。
 ここは、彼らが“居場所”として築いてきた場所だった。血も、誇りも、別れも、全てが染み付いている。
 そんな場所から離れて、新たな血に拠点を置くなど想像すらできなかった。







 誰一人として抗議の声を上げなかった。
 それが、命令に慣れた集団の姿だったのか。それとも、もう抗う力すら残っていなかったのか。
 荷をまとめる隊士達の背中は、何処か静かだった。
 怒りも、悲嘆も、表に出ない。ただ、「そういう流れなのだ」と受け入れているように見えた。
 雪は自分の荷を抱えながら、道の真ん中にふと立ち止まる。
 庭の向こうに見える本堂を一度だけ振り返った。

(……伊東さん、平助君。もう、いないんだね)

 この場所で見送った背中が、脳裏を過る。
 時代は、人を選ばない。その言葉が、今になって重く響いた。
 新撰組は、伏見へ向かう。それは前進でも、撤退でもない。ただ、居場所を失った者達が次の場所へ押し流されるだけの移動だった。
 誰も口にはしなかったが、全員が薄々気づいていた。
 京都は、もう自分達のものではないのだと。