想いと共に花と散る

 伊東は、視線を逸らさない。
 夜の闇の中でも、その瞳だけははっきりと原田と永倉を捉えていた。

「分かっているからこそ、ですわ」

 柔らかな言葉遣いとは裏腹に、その声には一片の揺らぎもない。
 夜気が、ひたりと肌にまとわりつく。油小路の空気が、刃を孕んだように張り詰めていた。

「御陵衛士は、朝廷を守る。時代に遅れる者を、切り捨てる覚悟も持つ」

 伊東はそう言い切る。
 信念を語る声音だった。誰かに聞かせるためではなく、自分自身に言い聞かせるように。

「だから、俺達を敵に回したか」

 原田が一歩、前に出た。
 指が自然と柄に掛かり、革越しに伝わる感触が現実を引き戻す。

「平助はどうした」

 ほんの一瞬だけ、伊東の瞼が揺れた。

「……彼には、選ばせた」
「逃がしたな」
「未来があるからね」

 迷いのない返答だった。
 原田の胸の奥で、何かがぎしりと軋む。

「未来なんて言葉で、人は救えねぇ」

 低く落ちた声と同時に、刀が鞘を離れる。
 金属が擦れる音が、夜に鮮明に響いた。

「俺達は、新撰組を守る。そのために——……斬る」

 それが嘘であることを、互いに分かっていた。だからこそ、言葉にしたのだ。
 伊東は静かに刀を抜く。月光が刃をなぞり、白く、冷たく光った。
 どちらも引かない。
 だから、この場所が選ばれたのだ。

「来なさい」

 その声を合図に、原田が踏み込む。
 油小路の闇が、刃の音で引き裂かれた。
 踏み込んだ原田の太刀を、伊東は真正面から受け止める。甲高い金属音が弾け、火花が夜に散った。

(……強ぇ)

 原田は歯を食いしばる。
 腕に伝わる衝撃が、伊東の覚悟の重さを雄弁に語っていた。

「まだ、引けるぞ伊東!」

 永倉の声が飛ぶ。
 斬り結びながら、それでも問いかけてしまう自分がいる。
 伊東は一歩退き、構えを崩さないまま、静かに笑った。

「優しいのね、永倉君。……でも、それは君達の甘さではなくって?」

 原田の胸に、苛立ちが走る。

(分かってる。分かってるんだよ)

 伊東が、ただの裏切り者ではないことくらい。
 だが、それでも——。

「だったら、最後まで立てよ!」

 原田が踏み込む。
 永倉も、僅かに遅れて刃を重ねた。
 三人の足音が油小路に絡み合う。
 息が荒くなり、視界が狭まる。刃を滑り込ませる一瞬の隙を誰もが探していた。

(藤堂君……進みなさい)

 伊東の脳裏に浮かぶのは、迷いながらも前を向こうとしていた若い顔。
 覚悟は、もう終えていた。
 永倉の太刀を受け流した、その刹那。伊東は、敢えて前へ出る。

「——伊東!」

 原田の槍が、迷いを断ち切るように突き出された。
 身体の芯まで、確かに届く一撃。伊東の身体が、僅かによろめく。
 手から離れた刀が地に落ち、乾いた音を立てた。

「……これで、君達の正義も………貫けるかしら」

 原田の手と声が、僅かに震えた。

「……勝手なこと、言いやがって」

 永倉は目を伏せたまま、動けずにいる。
 伊東は夜空を見上げた。雲の切れ間に、淡い月。

「時代は、進むわ。……君達が斬っても、斬らなくても………ね」

 最後に、ふっと息を吐く。

(あの子も、月も……どちらも綺麗だわぁ)

 雪のように白い肌、白玉のように柔らかい手、見失いそうになるほど小さな身体。
 子供なのに、その心には確かな覚悟を持っていた。

(進んで、進んで、進み続けるのよ。己が信じる道を、正しいと……思う道を)

 原田が、静かに槍を引いた。音は無い。
 ただ、油小路の夜が再び深い静寂に沈んでいく。
 永倉は、しばらくその場から動けなかった。

「俺達は———」

 答えは、出ない。
 ただ、守ると決めたものの重さだけが胸に残っていた。
 その夜、油小路に倒れたのは伊東甲子太郎だけではない。
 新撰組と御陵衛士、二つの正義が確かにここで終わりを迎えていた。