想いと共に花と散る

 それから数日が過ぎた。一見すると、何ら変わらない日常。
 けれど、屯所は目に見えて静かになった。
 隊士の数が減ったわけではない。廊下を行き交う足音も、稽古の声も、以前と変わらず響いている。
 それなのに、雪は違和感を覚えずにはいられなかった。
 足りない。理由は、分かっている。
 藤堂が伊東に付いて新撰組を去ったこと。そして、斎藤一が御陵衛士に名を連ねたこと。
 厨に立つと、特にその違和感を思い知らされる。
 朝餉の支度をしていると、ふと背後から声が掛かる気がして振り返った。

『雪、それ味噌ちょっと濃くない?』

 そんな他愛もない言葉。無邪気で、悪気など無くて、楽しげに笑う姿がそこにあるはずなのに。
 鍋の中を覗き込み、勝手に匙を取って味見をする姿が隣りにあるはずなのに。
 振り返っても、辺りを見渡してもそこには誰もいない。

「……」

 雪は何も言わず、もう一度鍋に向き直った。湯気の向こうが、少しだけ滲んで見える。
 藤堂は、よく厨に顔を出した。
 用もないのにふらりと現れては、雑談をして、気が向けば配膳を手伝っていった。
 いなくなって初めて、その存在がどれほど当たり前だったかを思い知らされる。
 結局、二人で夏祭りに行った次の日から、藤堂が厨に顔を出すことはないままだった。

(……もう、来てくれないのかな)

 何故だか、もう二度と藤堂と厨には立てない気がした。
 否、もう会うことすら許されない。そう思った瞬間、胸の奥に小さな空洞が生まれた。
 息を吸っても、吐いても埋まらない、名もない隙間。
 雪は鍋の火を落とし、膳を運ぶ準備に取りかかった。
 いつも通りの動き。何度も繰り返してきた手順。それなのに、ひとつひとつの動作に、微かな躊躇が混じる。
 配膳を終えても、誰も声を掛けてこない。

 『雪、これ足りてるか?』
 『それ俺が持ってやる』

 そんな言葉が飛んでこないことに、今さら気づいてしまう。
 広間を見渡せば、見知った顔はある。
 原田が大きな声で笑い、永倉が文句を言い、近藤が料理を褒めてくれて、土方は黙って沢庵を齧る。
 賑やかで、いつもと変わらないはずの光景。
 けれど、その中に藤堂はいない。
 ふとした拍子に視線を向けてしまう場所に、もう彼はいなかった。
 雪は配膳を終えると、用もないのに廊下へ出た。
 どうにも食欲が無くて、一刻も早く広間を出たかったのだ。
 自分が何処へ向かっているのかも分からないまま、ただ足を動かす。
 角を曲がれば、藤堂が柱にもたれている気がした。
 障子を開ければ、「あ、雪だ」と声を上げる気がした。
 そんな錯覚を、何度も繰り返す。

(……馬鹿みたい)

 心の中で呟いても、足は止まらなかった。
 屯所は広い。それなのに、何処行っても空いている場所ばかりが目につく。
 人が減ったわけではない。ただ、ぽっかりと抜け落ちた部分だけがやけに目立つだけ。
 伊東に付いていった藤堂。
 御陵衛士に名を連ねた斎藤。
 それぞれが選んだ道だと、頭では分かっている。
 誰も間違っていない。誰も裏切っていない。それでも、心は追いつかなかった。
 雪は立ち止まり、柱に手をついた。指先に伝わる木の感触が、やけに冷たい。

(……寂しい、なんて)

 口に出すには、あまりにも幼稚な言葉。
 新選組という場所で、そんな感情を持つこと自体が、許されない気がした。
 それでも、胸の奥に残る違和感は、どうしても消えてくれない。
 雪は小さく息を吐き、背筋を伸ばした。
 ここにいる以上、立ち止まるわけにはいかない。
 いつも通りでいなければ。かつて土方に言い聞かせられた言葉だ。
 自分にそう言い聞かせながら、再び歩き出す。