雪がそっと冊子を開くと、和紙が擦れる音が静かな部屋に広がった。思ったよりも整った字で、几帳面に並んだ文字列を追った瞬間、沖田が小さく噴き出す。
松風や 籬に匂ふ 夕顔哉
「……ちょっと待って。これ、季語二つ入ってない?」
「ほんとだ……しかも両方主張が強い」
思わず雪も口元を押さえる。
俳句としてどうなのかと言う以前に、真面目に悩み抜いた跡がありありと残っているのが可笑しかった。
「削ればいいのに」
「削れなかったんだろうね。どっちも捨てきれなかったんじゃない」
沖田はそう言って、くい、と頁を捲る。
次の句、その次の句。季節の言葉がぎこちなく並び、言い切れない感情が行間に滲んでいる。
読むだけで、土方が薄暗い部屋の中で筆を握り悩む様が想像できた。
「……土方さん、俳句でも堅物だね」
「剣と同じで、型を崩すのが苦手なんだよ」
くすくすと笑いながら読み進めていたはずなのに、いつの間にか二人の声は小さくなっていた。
派手さはない。けれど、空の色や風の冷たさ、夜明け前の静けさが、過剰な言葉を使わずに詠まれている。
梅の花 一輪咲いても 梅は梅
「可愛い」
「あはは! 可愛いって!」
「わ、笑い過ぎだよ。……ふふっ」
「雪も笑ってるじゃんか」
静かだったはずの部屋には、いつの間にか二人分の笑い声で満ちていた。
無邪気で、恐れなどない笑い声。
幸せだと感じるには、十分すぎるほどだった。
「……ちゃんと、生きてる人の句だね」
ぽつりと零れた言葉に、沖田は否定も肯定もせず、ただ小さく息を吐いた。
そして、最後の方の頁を捲る時、沖田の指がぴたりと止まる。
「……あ」
覗き込んだ雪の視線も、同じところで留まった。
そこにあったのは、恋を詠んだ一句だった。
しれば迷ひ しらねば迷ふ 恋の道
それは、多くを語らない言葉で作られていた。
触れることも、告げることもせず、ただ想いがそこにあると示すだけの、不器用な句。
一瞬、二人で顔を見合わせる。
「……意外すぎるね」
「でしょ。絶対、誰にも見せる気なかったやつだ」
「土方さんも恋するんだ」
「あの人結構遊び人だよ? 今でこそ落ち着いてるけど、昔なんて酷かった」
「え……知りたくなかったかも」
小さく笑い合った、その直後だった。続きを捲ろうとした指が、動かない。
胸の奥に、その一句が静かに落ちてくる。
笑いが消えても、重たさは戻らない。ただ、何かを知ってしまったあとの、静かな余韻だけが残る。
強くて、厳しくて、不器用で。それでも確かに、誰かを想う心を持つ人。
雪は冊子を閉じ、そっと膝の上に置いた。
「……返さなきゃね」
「うん。怒られる前に」
そう言いながら、二人とも立ち上がらない。
しばらくの間、同じ沈黙を抱えたまま肩を並べて座り続けていた。
松風や 籬に匂ふ 夕顔哉
「……ちょっと待って。これ、季語二つ入ってない?」
「ほんとだ……しかも両方主張が強い」
思わず雪も口元を押さえる。
俳句としてどうなのかと言う以前に、真面目に悩み抜いた跡がありありと残っているのが可笑しかった。
「削ればいいのに」
「削れなかったんだろうね。どっちも捨てきれなかったんじゃない」
沖田はそう言って、くい、と頁を捲る。
次の句、その次の句。季節の言葉がぎこちなく並び、言い切れない感情が行間に滲んでいる。
読むだけで、土方が薄暗い部屋の中で筆を握り悩む様が想像できた。
「……土方さん、俳句でも堅物だね」
「剣と同じで、型を崩すのが苦手なんだよ」
くすくすと笑いながら読み進めていたはずなのに、いつの間にか二人の声は小さくなっていた。
派手さはない。けれど、空の色や風の冷たさ、夜明け前の静けさが、過剰な言葉を使わずに詠まれている。
梅の花 一輪咲いても 梅は梅
「可愛い」
「あはは! 可愛いって!」
「わ、笑い過ぎだよ。……ふふっ」
「雪も笑ってるじゃんか」
静かだったはずの部屋には、いつの間にか二人分の笑い声で満ちていた。
無邪気で、恐れなどない笑い声。
幸せだと感じるには、十分すぎるほどだった。
「……ちゃんと、生きてる人の句だね」
ぽつりと零れた言葉に、沖田は否定も肯定もせず、ただ小さく息を吐いた。
そして、最後の方の頁を捲る時、沖田の指がぴたりと止まる。
「……あ」
覗き込んだ雪の視線も、同じところで留まった。
そこにあったのは、恋を詠んだ一句だった。
しれば迷ひ しらねば迷ふ 恋の道
それは、多くを語らない言葉で作られていた。
触れることも、告げることもせず、ただ想いがそこにあると示すだけの、不器用な句。
一瞬、二人で顔を見合わせる。
「……意外すぎるね」
「でしょ。絶対、誰にも見せる気なかったやつだ」
「土方さんも恋するんだ」
「あの人結構遊び人だよ? 今でこそ落ち着いてるけど、昔なんて酷かった」
「え……知りたくなかったかも」
小さく笑い合った、その直後だった。続きを捲ろうとした指が、動かない。
胸の奥に、その一句が静かに落ちてくる。
笑いが消えても、重たさは戻らない。ただ、何かを知ってしまったあとの、静かな余韻だけが残る。
強くて、厳しくて、不器用で。それでも確かに、誰かを想う心を持つ人。
雪は冊子を閉じ、そっと膝の上に置いた。
「……返さなきゃね」
「うん。怒られる前に」
そう言いながら、二人とも立ち上がらない。
しばらくの間、同じ沈黙を抱えたまま肩を並べて座り続けていた。



