夕暮れの西本願寺は、昼間の熱をまだ引きずっていた。
境内を抜ける風は温く、秋にはほど遠い。
廊下の角を曲がったところで、伊東の姿を見つけた。一人、欄干に肘を着き、庭を眺めている。
「伊東先生」
声を掛けると、黄昏れていた伊東はゆっくり振り返った。
一瞬驚いた表情を浮かべた後、いつものように薄い笑みを浮かべる。
「あら、藤堂君」
「会議、終わったんですか」
「ええ。……もう少しで」
“もう少し”。その言い方が、妙に引っ掛かった。
不審に思って首を傾げた藤堂は、伊東の隣に寄って同じ様に欄干に肘を着く。
自身よりも背丈のある伊東の顔を覗き込んで、藤堂は再び首を傾げた。
「なんか、疲れてます?」
「そう見える?」
伊東は否定も肯定もせず、扇子を閉じて指先で軽く叩いた。
その仕草は、考え事をしている時の癖だ。
「俺、伊東先生の話って嫌いじゃないっすよ」
藤堂自身でも、何故そんなことを言ったのか分からなかった。
ただ、言わなければいけない気がしたから、言っていた。
「頭でっかちだとか、危ねぇとか、色々言われてますけど」
「……ふうん」
「でも、ちゃんと先のこと考えてる。近藤さんとは、考え方が違うだけで」
言いながら、胸の奥がざわつくのを感じた。まるで、引き止める言葉を探しているみたいだと。
伊東はしばらく藤堂を見つめ、それからふっと笑った。
「貴方は、優しいわね」
「そうですか?」
「ええ。……優しすぎるくらい」
その声音が、何処か遠い。顎先に扇子の先端を当てて笑う姿は、触れれば一瞬で壊れてしまいそうだ。
手を伸ばしてみようかとも思ったが、藤堂にそんな趣味はない。
それでも、このまま見ている気にはなれなくて、お得意の愛想笑いを浮かべた。
「俺、付いて行きますよ」
「……何処へ?」
「伊東先生の考え。全部じゃなくても、理解したい」
勢いで出た言葉だった。
恥ずかしいことを言っている自覚はあるが、本心を口にしただけ。後悔はなかった。
だが、伊東はすぐに力なく首を振る。
それから、扇子の先端を藤堂のバンダナが巻かれた額に突き付けた。
「それは、駄目よ」
「なんでっすか?」
「藤堂君は、ここにいるべきだから」
濁りも気遣いもないきっぱりとした否定だった。
けれど、突き放すような冷たさはない。
「ここって……新撰組ですか」
「ええ。貴方が笑っていられる場所」
「伊東先生は?」
「私は……別の役目があるわ」
言い切る声は、迷いがない。それなのに、何処か寂しげだった。
これだけ共にいると主張しているはずなのに、伊東には一つも届いていない。
否、届いているからこそ拒絶されているのか。
その役目とやらが一体何なのかすら聞かせてもらえない現実が、藤堂には苦しみでしかなかった。
欄干を握っていた手に力を込め、伊東から目を逸らす。
「伊東先生、いなくなるみたいな言い方するなよ」
「ふふ……そう聞こえたかしら」
小さく笑みを落とした伊東は、視線を庭に戻した。
視界いっぱいを埋め尽くす夕焼けが、白い砂を橙色に染めていた。
「時代は、人を選ばない。けれど、人は時代を選べる」
「難しいこと言うなぁ」
「貴方には、分からなくていい」
それは、優しさだった。「こちら側には来るな」という、伊東なりの優しさである。
しかしそれと同時に、決別の線が二人の間に引かれた合図でもあった。
「……じゃあさ」
「はい」
「元気でいてくださいよ」
境内を抜ける風は温く、秋にはほど遠い。
廊下の角を曲がったところで、伊東の姿を見つけた。一人、欄干に肘を着き、庭を眺めている。
「伊東先生」
声を掛けると、黄昏れていた伊東はゆっくり振り返った。
一瞬驚いた表情を浮かべた後、いつものように薄い笑みを浮かべる。
「あら、藤堂君」
「会議、終わったんですか」
「ええ。……もう少しで」
“もう少し”。その言い方が、妙に引っ掛かった。
不審に思って首を傾げた藤堂は、伊東の隣に寄って同じ様に欄干に肘を着く。
自身よりも背丈のある伊東の顔を覗き込んで、藤堂は再び首を傾げた。
「なんか、疲れてます?」
「そう見える?」
伊東は否定も肯定もせず、扇子を閉じて指先で軽く叩いた。
その仕草は、考え事をしている時の癖だ。
「俺、伊東先生の話って嫌いじゃないっすよ」
藤堂自身でも、何故そんなことを言ったのか分からなかった。
ただ、言わなければいけない気がしたから、言っていた。
「頭でっかちだとか、危ねぇとか、色々言われてますけど」
「……ふうん」
「でも、ちゃんと先のこと考えてる。近藤さんとは、考え方が違うだけで」
言いながら、胸の奥がざわつくのを感じた。まるで、引き止める言葉を探しているみたいだと。
伊東はしばらく藤堂を見つめ、それからふっと笑った。
「貴方は、優しいわね」
「そうですか?」
「ええ。……優しすぎるくらい」
その声音が、何処か遠い。顎先に扇子の先端を当てて笑う姿は、触れれば一瞬で壊れてしまいそうだ。
手を伸ばしてみようかとも思ったが、藤堂にそんな趣味はない。
それでも、このまま見ている気にはなれなくて、お得意の愛想笑いを浮かべた。
「俺、付いて行きますよ」
「……何処へ?」
「伊東先生の考え。全部じゃなくても、理解したい」
勢いで出た言葉だった。
恥ずかしいことを言っている自覚はあるが、本心を口にしただけ。後悔はなかった。
だが、伊東はすぐに力なく首を振る。
それから、扇子の先端を藤堂のバンダナが巻かれた額に突き付けた。
「それは、駄目よ」
「なんでっすか?」
「藤堂君は、ここにいるべきだから」
濁りも気遣いもないきっぱりとした否定だった。
けれど、突き放すような冷たさはない。
「ここって……新撰組ですか」
「ええ。貴方が笑っていられる場所」
「伊東先生は?」
「私は……別の役目があるわ」
言い切る声は、迷いがない。それなのに、何処か寂しげだった。
これだけ共にいると主張しているはずなのに、伊東には一つも届いていない。
否、届いているからこそ拒絶されているのか。
その役目とやらが一体何なのかすら聞かせてもらえない現実が、藤堂には苦しみでしかなかった。
欄干を握っていた手に力を込め、伊東から目を逸らす。
「伊東先生、いなくなるみたいな言い方するなよ」
「ふふ……そう聞こえたかしら」
小さく笑みを落とした伊東は、視線を庭に戻した。
視界いっぱいを埋め尽くす夕焼けが、白い砂を橙色に染めていた。
「時代は、人を選ばない。けれど、人は時代を選べる」
「難しいこと言うなぁ」
「貴方には、分からなくていい」
それは、優しさだった。「こちら側には来るな」という、伊東なりの優しさである。
しかしそれと同時に、決別の線が二人の間に引かれた合図でもあった。
「……じゃあさ」
「はい」
「元気でいてくださいよ」



