想いと共に花と散る

 雪は一礼し、立ち上がって部屋を出ようとした。

「——……お待ちになって」

 不意に呼び止められ、反射的に足を止める。
 振り返ると、伊東は茶碗を手にしたまま、何処か迷うような表情をしていた。
 少しの沈黙の後、座っている伊東は雪を見上げる。

「少し……お話をしても?」

 その言葉に、雪は一瞬だけ躊躇った。彼から話し掛けられるなど、悪い気はしないが安全とは言い難い。
 だが、今の伊東から危険な気配は感じなかった。 
 純粋に雪と話したい。そういった想いを感じたから。
 伊東に向き直った雪は、持っていたお盆を下げて頷く。

「……はい」

 雪の答えを聞いた伊東は、安堵したように微笑んだ。
 先程まで近藤が座っていた伊東の向かい側に雪は座り、近藤のために入れてきた茶を自分の前に置く。
 そうして雪が落ち着くまで待っていた伊東は、何気ない様子で言った。

「貴女は、不思議なお方ですわね」
「え?」
「私を見る目に、恐れがない」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。不思議な方、という言葉にどれだけの意味を込めたのか理解できなかったから。
 しかし、その言葉を聞いた雪は小さく首を振った。

「……正直に言えば、前は少し怖い方だと思っていました」

 雪は、あえて思い切って口にした。
 今なら言ってしまっても大丈夫だと、心の何処かで安心していたからである。
 伊東は驚いた様子も見せず、むしろ興味深そうに目を細めた。

「でしょうね」
「でも……今は、違います」

 雪は自分でも不思議なくらい、言葉がすらりと出てくるのを感じていた。

「伊東さんは、冷たい人じゃない。ただ……すごく先を見ている」

 その瞬間、伊東の目が僅かに揺れた。
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかった、と言ったところだろう。
 雪は伊東から目を逸らし、両手で握った湯呑みの中に視線を落とした。

「皆が今を必死に生きている中で、伊東さんだけは“この先どうなるか”を考えている。だから……嫌われる役も、引き受けようとしているのかなって思いました」

 言葉にしながら、雪は理解していく。
 この人は壊したいのではない。良くしたいのだ。ただ、そのやり方が誰よりも厳しいだけで。

「根性が、あるのかな。……ああ、いや、馬鹿にするつもりとかは、一切無くて!」

 ぽつりと零れたその言葉に、伊東は一瞬言葉を失った。
 慌てて言葉を撤回しようとする雪の反面、伊東はぽかんと口を開けて固まる。
 やがて、表情を和らげた伊東は雪を見つめた。

「根性、ですか」
「……はい。覚悟、って言った方が近いかもしれません」

 伊東はしばらく黙り込み、やがて小さく笑った。

「そのように見ていただけるとは……救われますわ」

 茶に口をつけ、視線を伏せる。
 ゆっくりと紡がれる言葉は、雪には想像もできないほどの覚悟に満ちていた。
 藤堂が彼を新撰組に引き入れた理由が、ほんの少し分かった気がする。

「私は、未来を選びたいのです。今ここにいる者達に、恨まれようとも」

 その声音に、迷いはなかった。
 あるのはただ、引き返さないと決めた人間の重み。

(……危険なのは、この人じゃない)

 雪は思う。
 危険なのは、何も決めないまま流されることだ。

「……伊東さん」
「はい?」
「どうか、ご無事で」

 それ以上、雪には言えなかった。
 だが、その一言に込めた想いは、伊東にも伝わったのだろう。

「ありがとうございます」

 穏やかな声でそう返し、伊東は微笑んだ。
 雪が部屋を出た後、伊東は一人、静かに呟く。

「……私は、間違っていない」

 それは、自分に言い聞かせるための言葉だった。