想いと共に花と散る









 近藤の足音が、廊下の奥へと遠ざかっていく。
 襖の向こうでそれが完全に消えたのを確かめてから、伊東は小さく息を吐いた。

「……ここまで、ですわね」

 その呟きは、雪が想像していた“策士の言葉”とは違っていた。
 もっと冷たく、計算ずくで、切り捨てるような響きを持つものだと思っていたのに。
 実際に耳にした声は、酷く静かで何処か疲れている。諦めているのだと、すぐに察せた。

「……私は、ここを離れます」

 誰に向けるでもないその言葉に、雪は胸の奥がざわついた。
 湯気が昇る湯呑みが二つ乗ったお盆を抱えたまま、少しの間部屋の前に立ち尽くす。

(離れる……?)

 伊東甲子太郎。藤堂の仲介で新撰組に入隊し、頭が切れて、近藤と対立する何処か危うい男。
 雪の中で、彼はずっと「近づいてはいけない人間」に分類されていた。
 新撰組を壊しかねない存在。
 利用するためなら、人の心も切り捨てる人。
 そんな印象を、いつの間にか抱いていたのだ。
 人の印象のほとんどは、見た目から決まると言われる。伊東の狐のような腹の底がしれない容姿も相まって、彼は危険人物であると勝手に考えていた。
 しかし、それはただの先入観でしかない。先程の沈んだ声を聞いた後では、到底危険な男だなど言えるはずもなかった。
 襖が小さく鳴り、雪は盆を持ったまま部屋に入る。

「失礼します」

 頭を下げながら部屋に入り、顔を上げると机を挟んで向かい合っていたはずの片方がいない。
 雪の左斜め前に座っている伊東が微笑みを浮かべながら手を降った。部屋に残されたのは伊東ただ一人と、冷え切った茶。

「……近藤さんは?」
「もうお戻りになりましたわ」

 雪の何気ない問に、伊東は微笑んで答える。
 けれど、その笑みは誰かを出し抜いた人間のそれではなく、役目を終えた者のものに見えた。

(……何か、決まったんだ)

 雪はそう直感する。これまでにも同じような表情を何度も見てきたから分かるのだ。
 例えば、脱走する前夜に山南が見せたぎこちない笑顔など。
 何かが壊れようとしていることは分かる。けれど、それが何なのかは分からないままだ。
 それ以上踏み込む勇気はなく、新しい茶を差し出した。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 礼を言う声も、動作も、あまりに丁寧だ。
 危険な男だと決めつけていた自分の視線が、ほんの少し揺らぐ。