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夜空に浮かぶ月の光は、遠くから見るとやけに美しくに見える。
だが、その輪の中に入らずとも、話の内容はよく聞こえた。
伊東は、少し離れた暗がりに立っていた。
足音を殺し、衣擦れも抑え、ただ耳を澄ませる。
(……藤堂君ね)
快活で、率直で、疑うことを知らない男。戦を「必要なもの」として受け入れられる性質。
それらは実に扱いやすい。
「伊東さんがいてくれて助かった」
建物の柱越しに聞こえた言葉に、伊東は内心で小さく息を吐いた。
評価としては上々だ。
血を減らした。無駄を省いた。それだけで、人は“正しい”と信じてくれる。
(単純で、実に結構)
斎藤の声が混じる。短く、慎重で、言葉を選んでいる。
警戒心はあるが、反発はない。
問題は——……。
伊東の視線が、階段の端で膝を抱える少年に向いた。
雪と名乗り生まれも育ちも曖昧な、鬼の副長の小姓という複雑な立場にある人物。
剣も持たず、立場も曖昧。それでいて、目だけが妙に静かだ。
(迷っているわねぇ……)
藤堂が「迷いはない」と断じるほど、その対極にいる。
問いを捨てられない者。それは、戦の中で最も扱いにくい存在である。
「……伊東さんは、迷ってましたか?」
その問いが出た瞬間、伊東は僅かに目を細めた。
(ふうん)
自分のことではない。だが、答えを知りたがっている。
人を見る目が、まだ残っている証拠だ。
藤堂の返答は予想通りだった。
迷いはない。だからいい。
(正解よ、藤堂君)
迷わぬ者は、前に出せる。
迷う者は、後ろに置くか、斬る。
雲から顔を覗かせる月の光が辺りを淡く照らした。その光の中で、雪の横顔が歪む。
(……山南君と同じだわ)
強さを問う。意味を探す。だから、立ち止まってしまう。
藤堂が山南の名を出した時、伊東は口元を僅かに緩めた。
あれは偶然ではない。時代が選んだ結果だ。
やがて、藤堂と斎藤が立ち上がる。
二人を見送ると、本堂の階段には雪だけが残った。
伊東は、まだ動かない。
気配を消したまま、少年の背中を見つめる。
(……この子は、まだ決めていない)
剣を取る側か。切り捨てられる側か。それとも——……利用される側か。
小さく息を吐いた後、その瞬間を待って伊東は静かに一歩踏み出す。
足音は、意図的に消さなかった。
「……お一人ですか」
背後から、柔らかな声を掛ける。
すると雪の肩が、びくりと跳ねた。
振り向いた顔に驚きが浮かぶのを見て、伊東は内心で満足した。
最後まで、気づかれていない。
「先ほどのお話、偶然耳に入りまして」
責めるでも、咎めるでもなく。ただ、事実として告げる。
「貴方は、問いを捨てられないようですわね」
屋根越しに届く月の光が、雪と伊東の間に揺れる。
「それは、美徳です。——……ですが、戦の中では最も脆い」
少年の瞳が揺れる。瞳には、目の前の存在を敵として見なす鋭さが光る。
その反応を、伊東は見逃さない。
(……さて)
選別は、まだ終わらない。



