夜が下りる頃、雪は本堂前の階段に座り込んでいた。
月明かりが辺りを照らしているはずなのに、どれも何処か心許ない。丸い月が照らすのは、疲労と沈黙だけだった。
あまりにも眩しい月明かりを見て、思わず目を細める。
けれど、それを理由に視線を落とすのは、何処か卑怯な気がした。
「……よう。お前も眠れぇの?」
気安い声に顔を上げると、藤堂が片手を上げて立っていた。
その後ろには、斎藤もいる。相変わらず表情は乏しいが、視線は周囲を警戒したままだ。
「あ、うん。いろいろあって……」
雪が答えると、藤堂は雪が座っている所から数段下に腰を下ろし、ぐっと伸びをした。
「そうだよなあ。ほんと色々あった。山南さんがいなくなって、長州征伐だとかなんとかで戦が始まって。今じゃあ、違う人が欠けた役割を担ってるんだからな」
(……山南さんは、欠けた人なの?)
誰に棟でもない問いが雪の胸に沈む。
「けど、助かったよなぁ」
「……助かった?」
「うん。伊東さんがいてくれてさ」
その名が出た瞬間、雪の指先が僅かに強ばる。
藤堂はそんな雪の様子に気づいた様子もなく、続けた。
「あの人、本当に頭がキレる。戦の前も最中も、無駄がなかったろ?」
「……うん」
「突っ込め、斬れ、って言うんじゃなくてさ。何処で抑えて、何を動かすか、ちゃんと見てた」
藤堂は階段に手を付き、屋根から覗く月を眩しそうに眺める。
「正直、ああいう参謀がいると、戦は楽だ。余計な血を見ずに済む」
その言葉に、雪は小さく息を呑んだ。
剣を握り、前線に立つ藤堂だからこそ考える玄室。雪には、その裏に隠された覚悟など計り知れない。
(……余計な、血か)
確かに戦は短かく、混乱は抑えられていた。
けれど、それは「血が流れなかった」という意味ではない。
柱に背を預け、目を伏せる斎藤が低く口を開く。
「……合理的ではあった」
「だろ?」
「だが、あの男は前に出ない。剣を振るわず、戦の形だけを動かすだけ。俺達の後ろで見ているにすぎない」
「それが参謀ってもんだろ?」
藤堂は悪びれもせず言い切った。その声音には、伊東に対する信頼が混じっている。
「剣が強いだけじゃ、もう足りねぇんだよ。これからはさ」
藤堂はちらりと雪を見た。
「雪も見ただろ? 新撰組が、ちゃんと“先”を見てるって」
返事が、すぐには出なかった。
雪は夜空に浮かぶ月に視線を戻す。
(……先を見てる)
伊東の言葉。大義。正義。器。
藤堂の言うことは、間違っていない。
戦を減らすための戦。血を抑えるための判断。
「……平助君」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
「伊東さんは……迷った?」
藤堂は一瞬きょとんとした顔をして、それから笑った。
「迷い? いや、全然」
「……そっか」
「だからいいんだろ。ああいう人がいなきゃ、組はまとまらねぇ」
月が雲に覆われ、辺りが一段薄暗くなる。
再び顔を出した月の光が、藤堂の横顔を照らした。
「山南さんみたいな人も、俺は好きだったけどさ」
「っ……」
その名に、雪の胸が静かに軋む。
こんな閑散とした場所で、その名前を聞きたくはなかった。
「今はもう、そういう時代じゃねぇんだと思う」
藤堂の言葉は、現実だった。否定できないほど、真っ直ぐで。
斎藤は何も言わない。ただ、雪と藤堂を見つめている。
雪は、ゆっくりと息を吐いた。
(……迷わない人が、必要なんだ)
それは、分かる。
分かってしまうからこそ、胸の奥が冷えた。
迷わない者が進む。迷う者は、立ち止まる。
(じゃあ、私は置いていかれる側だね……)
雪は、月に照らされた自分の手を見つめながら、そっと拳を握った。
この夜の暖かさを、忘れてしまわないために。
月明かりが辺りを照らしているはずなのに、どれも何処か心許ない。丸い月が照らすのは、疲労と沈黙だけだった。
あまりにも眩しい月明かりを見て、思わず目を細める。
けれど、それを理由に視線を落とすのは、何処か卑怯な気がした。
「……よう。お前も眠れぇの?」
気安い声に顔を上げると、藤堂が片手を上げて立っていた。
その後ろには、斎藤もいる。相変わらず表情は乏しいが、視線は周囲を警戒したままだ。
「あ、うん。いろいろあって……」
雪が答えると、藤堂は雪が座っている所から数段下に腰を下ろし、ぐっと伸びをした。
「そうだよなあ。ほんと色々あった。山南さんがいなくなって、長州征伐だとかなんとかで戦が始まって。今じゃあ、違う人が欠けた役割を担ってるんだからな」
(……山南さんは、欠けた人なの?)
誰に棟でもない問いが雪の胸に沈む。
「けど、助かったよなぁ」
「……助かった?」
「うん。伊東さんがいてくれてさ」
その名が出た瞬間、雪の指先が僅かに強ばる。
藤堂はそんな雪の様子に気づいた様子もなく、続けた。
「あの人、本当に頭がキレる。戦の前も最中も、無駄がなかったろ?」
「……うん」
「突っ込め、斬れ、って言うんじゃなくてさ。何処で抑えて、何を動かすか、ちゃんと見てた」
藤堂は階段に手を付き、屋根から覗く月を眩しそうに眺める。
「正直、ああいう参謀がいると、戦は楽だ。余計な血を見ずに済む」
その言葉に、雪は小さく息を呑んだ。
剣を握り、前線に立つ藤堂だからこそ考える玄室。雪には、その裏に隠された覚悟など計り知れない。
(……余計な、血か)
確かに戦は短かく、混乱は抑えられていた。
けれど、それは「血が流れなかった」という意味ではない。
柱に背を預け、目を伏せる斎藤が低く口を開く。
「……合理的ではあった」
「だろ?」
「だが、あの男は前に出ない。剣を振るわず、戦の形だけを動かすだけ。俺達の後ろで見ているにすぎない」
「それが参謀ってもんだろ?」
藤堂は悪びれもせず言い切った。その声音には、伊東に対する信頼が混じっている。
「剣が強いだけじゃ、もう足りねぇんだよ。これからはさ」
藤堂はちらりと雪を見た。
「雪も見ただろ? 新撰組が、ちゃんと“先”を見てるって」
返事が、すぐには出なかった。
雪は夜空に浮かぶ月に視線を戻す。
(……先を見てる)
伊東の言葉。大義。正義。器。
藤堂の言うことは、間違っていない。
戦を減らすための戦。血を抑えるための判断。
「……平助君」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
「伊東さんは……迷った?」
藤堂は一瞬きょとんとした顔をして、それから笑った。
「迷い? いや、全然」
「……そっか」
「だからいいんだろ。ああいう人がいなきゃ、組はまとまらねぇ」
月が雲に覆われ、辺りが一段薄暗くなる。
再び顔を出した月の光が、藤堂の横顔を照らした。
「山南さんみたいな人も、俺は好きだったけどさ」
「っ……」
その名に、雪の胸が静かに軋む。
こんな閑散とした場所で、その名前を聞きたくはなかった。
「今はもう、そういう時代じゃねぇんだと思う」
藤堂の言葉は、現実だった。否定できないほど、真っ直ぐで。
斎藤は何も言わない。ただ、雪と藤堂を見つめている。
雪は、ゆっくりと息を吐いた。
(……迷わない人が、必要なんだ)
それは、分かる。
分かってしまうからこそ、胸の奥が冷えた。
迷わない者が進む。迷う者は、立ち止まる。
(じゃあ、私は置いていかれる側だね……)
雪は、月に照らされた自分の手を見つめながら、そっと拳を握った。
この夜の暖かさを、忘れてしまわないために。



