号令が掛かる度、人が動いた。
隊列が組まれ、荷が運ばれ、命令が重ねられていく。その一つ一つは淡々としていて、恐ろしいほど静かだった。
第一次長州征伐。後にそう呼ばれる大きな歴史の内の一部分。
雪はその言葉を、何度も書物の中で見てきたはずだった。結果も、意味も、結末さえも知っている出来事。
それなのに、実際にその場に立つと胸の奥が落ち着かなかった。
新選組は前に進んでいる。
誰一人、迷っている様子はない。むしろ誇らしげですらあった。
朝廷の命を受け、長州を討つ。それは正義であり、名誉であり、武士としての務めだと信じられている。
けれど、雪の目に映るのは、刀を握る手の硬さだった。
冗談を言い合っていた隊士達が、口数を減らし、視線を落とす。
誰も「死ぬ」とは言わない。けれど、皆がそれを分かっているのだ。
(……これで、何度目の戦なんだろう)
血が流れる前から、人はすでに削られている。
覚悟という名の元に、不安を押し殺し疑問を捨てて前へ進む。
雪は、ふと気づいた。ここには「問い」がない。
何故戦うのか。誰のためなのか。それを考える余裕そのものが、許されていないのだ。
遠くで、伊東の姿が見えた。
隊士達の中に混じっているわけでも、前線に立っているわけでもない。それなのに、彼はこの場に“いるべき人間”のように見えた。
扇子を閉じ、静かに近藤の隣に立つ姿。
刀を抜かず、血にも触れず、けれど確かに戦の中心にいる男。
胸の奥に、嫌な予感が芽生える。
——この人は、戦を使う。
そう思った瞬間、ぞくりと背筋が冷える。
やがて、戦の動きが一段落した頃。本陣の一角で、近藤と伊東が向き合って話しているのが見えた。
雪は、物陰からその様子を見る。
聞くつもりはなかった。ただ、足が止まってしまっただけだ。
「……この戦は、終わりではありません」
伊東の声は、低く穏やかだった。
怒気も興奮もない。ただ、確信だけがある。
「長州を討つことが目的ではないのです。幕府が、朝廷が、どちらが“時代の流れ”を掴むのか——……それを示す戦です」
近藤は黙って聞いている。
遮らず、否定もせず、ただ伊東の言葉を受け止めていた。
「新撰組は、剣の力で名を上げました。ですが、これから先はそれだけでは足りない」
伊東は、扇子を軽く開いた。
「正義を語れる剣でなければ、生き残れません。近藤局長。貴方は、その器を持っている」
その言葉に、雪の胸が締めつけられた。
——正義。
——器。
それは、あまりにも美しい言葉だった。
戦の中で聞くには、あまりにも。
近藤はしばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「……新撰組は、朝廷の剣だ」
「ええ。それでこそ、意味がある」
そのやり取りを見ながら、雪は思った。
(山南さんは……こんな言葉を聞いて、どう思うのかな)
静かで、優しくて、問いを捨てなかった人。強さとは何かを、戦うこと以外で教えてくれた人。
雪は、ようやく理解した。
伊東の大義は、間違ってはいない。
けれど、そこには迷う余地がなかった。
迷いを抱えた者は、置いていかれる。それが、この先の新撰組なのだと。
隊列が組まれ、荷が運ばれ、命令が重ねられていく。その一つ一つは淡々としていて、恐ろしいほど静かだった。
第一次長州征伐。後にそう呼ばれる大きな歴史の内の一部分。
雪はその言葉を、何度も書物の中で見てきたはずだった。結果も、意味も、結末さえも知っている出来事。
それなのに、実際にその場に立つと胸の奥が落ち着かなかった。
新選組は前に進んでいる。
誰一人、迷っている様子はない。むしろ誇らしげですらあった。
朝廷の命を受け、長州を討つ。それは正義であり、名誉であり、武士としての務めだと信じられている。
けれど、雪の目に映るのは、刀を握る手の硬さだった。
冗談を言い合っていた隊士達が、口数を減らし、視線を落とす。
誰も「死ぬ」とは言わない。けれど、皆がそれを分かっているのだ。
(……これで、何度目の戦なんだろう)
血が流れる前から、人はすでに削られている。
覚悟という名の元に、不安を押し殺し疑問を捨てて前へ進む。
雪は、ふと気づいた。ここには「問い」がない。
何故戦うのか。誰のためなのか。それを考える余裕そのものが、許されていないのだ。
遠くで、伊東の姿が見えた。
隊士達の中に混じっているわけでも、前線に立っているわけでもない。それなのに、彼はこの場に“いるべき人間”のように見えた。
扇子を閉じ、静かに近藤の隣に立つ姿。
刀を抜かず、血にも触れず、けれど確かに戦の中心にいる男。
胸の奥に、嫌な予感が芽生える。
——この人は、戦を使う。
そう思った瞬間、ぞくりと背筋が冷える。
やがて、戦の動きが一段落した頃。本陣の一角で、近藤と伊東が向き合って話しているのが見えた。
雪は、物陰からその様子を見る。
聞くつもりはなかった。ただ、足が止まってしまっただけだ。
「……この戦は、終わりではありません」
伊東の声は、低く穏やかだった。
怒気も興奮もない。ただ、確信だけがある。
「長州を討つことが目的ではないのです。幕府が、朝廷が、どちらが“時代の流れ”を掴むのか——……それを示す戦です」
近藤は黙って聞いている。
遮らず、否定もせず、ただ伊東の言葉を受け止めていた。
「新撰組は、剣の力で名を上げました。ですが、これから先はそれだけでは足りない」
伊東は、扇子を軽く開いた。
「正義を語れる剣でなければ、生き残れません。近藤局長。貴方は、その器を持っている」
その言葉に、雪の胸が締めつけられた。
——正義。
——器。
それは、あまりにも美しい言葉だった。
戦の中で聞くには、あまりにも。
近藤はしばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「……新撰組は、朝廷の剣だ」
「ええ。それでこそ、意味がある」
そのやり取りを見ながら、雪は思った。
(山南さんは……こんな言葉を聞いて、どう思うのかな)
静かで、優しくて、問いを捨てなかった人。強さとは何かを、戦うこと以外で教えてくれた人。
雪は、ようやく理解した。
伊東の大義は、間違ってはいない。
けれど、そこには迷う余地がなかった。
迷いを抱えた者は、置いていかれる。それが、この先の新撰組なのだと。



