想いと共に花と散る

 京の空が、火で裂けていた。
 夜明け前だというのに、闇はすでに役目を終えている。
 赤く染まった煙が低く垂れ込み、視界の先で建物が音を立てて崩れた。
 腹の奥に響く砲声が遅れて届いたかと思えば、地面が僅かに震える。

「――……前へ!」

 土方の声が、煙の中を切り裂いた。
 迷いはない。ここで躊躇えば、隊は瓦解する。それだけは、何としても避けなければならなかった。
 禁門周辺は、完全に戦場だった。
 銃声が途切れない。何処から撃たれているのか分からない弾が、壁を抉り、地面を弾き、隊士のすぐ脇を掠めていく。
 火の粉が舞い、羽織の端を焦がした。

「隊形を崩すな! 下がるな!」

 命令を飛ばしながら、土方は前を見る。
 敵の姿は煙に溶け、輪郭すら定まらない。
 それでも進むしかない。ここは御所の近くだ。突破されれば、京そのものが崩れる。
 叫び声が上がった。
 振り向く暇はない。振り向いた瞬間に、次は自分が倒れる。
 歯を食いしばり、足を進める。
 池田屋とは違う。室内ではなく、夜の闇に紛れることもできない。
 ここでは、剣も銃も火も、等しく命を奪う。
 そして、脳裏に朝の光景が過った。
 縁側。畳まれた白い布。静かな屯所。そして、そこに立っていた雪の姿。

(……考えるな)

 頭を振るように、土方は前を睨む。
 今ここで思い出すものではない。守ると決めたのは自分だ。置いてきたのも、自分だ。
 銃声が近い。
 壁の向こうで火が爆ぜ、熱風が頬を撫でる。
 肺に煙が入り、咳が込み上げるのを無理矢理飲み込んだ。

「副長! 右から――……!」

 背後から聞こえてきた声が途切れる。振り返る暇も無く、耳を劈く絶叫が辺りに響き渡った。
 嫌な音がする。鋭い刃物で肉を打つ音だ。
 土方は一瞬だけ歯を噛み締め、腹の底から叫ぶ。

「止まるな! 前だ!」

 死者に構っていれば、次は生者が死ぬ。
 それが戦だ。
 分かっている。分かっているからこそ、胸の奥が冷えていった。

(ここで、間違えたら)

 守れなくなる。
 屯所も、隊も、――雪も。
 剣を握る手に、無意識に力が入った。
 あの時、雪の影が薄く見えたことが脳裏を掠める。

(……戻る場所は、必ず守る)

 それは祈りではない。誓いですらない。
 副長として、今この場で生き残るための、執念だった。
 再び砲声が轟く。京の街が悲鳴を上げる。
 その中心で、土方はただ前を見続けた。後ろを振り返らないために。