朝餉が終わると、屯所は再び動き出す。稽古に向かう者、外回りの支度をする者、怪我人の世話に回る者。
池田屋事件を越えた後の新選組は、以前よりも静かで、それでいて忙しい。
雪は洗濯桶を抱え、庭へと回った。
厨の喧騒から離れると、空気が少しだけ軽くなる。
井戸端には、すでに水が張られている。桶に布を沈め、両手で押し洗いをすると、水面が揺れて城い晒しがゆらりと歪んだ。
(……あれ)
一瞬、水に映った自分の姿が、曖昧に揺らいだ気がした。輪郭が滲んだような、霞が掛かったような。
雪は眉を顰め、もう一度水面を覗き込む。
そこには、ちゃんと自分がいる。見慣れた顔、見慣れた髪、見慣れた表情が映っていた。
「……気のせい、だよね」
そう呟いて、布を絞る。水が落ちる音が、規則正しく響いた。
干し場へ向かい、洗い終えた布を竿に掛けていく。
陽の光を受けた白布は、やけに眩しくて、薄い。ひらひらと揺れる布をぼんやりと眺めている、その時だった。
「雪君」
穏やかな声が背後から掛けられる。振り返ると、そこには山南が立っていた。
いつも通りの端正な立ち姿、柔らかな表情。
けれど、眼鏡の奥の視線が一瞬だけ、雪の肩口をすり抜けたように見えた。
「おはようございます、山南さん」
「ええ。もう動いておられたのですね」
そう言いながら、山南は洗濯物と雪とを交互に見た。何処か測るような、確かめるような目つきで。
「近頃、体調はいかがですか」
不意に、そんな言葉が落とされる。
「体調、ですか?」
「辻斬りの一件以来、色々とあって無理をしているのではいないかと」
「ああ……それなら大丈夫です」
雪は笑って答えた。辻斬りの件で雪は大きな被害を受けたが、もう何ヶ月も前のことである。
池田屋事件も数日前のことで、感じていた息苦しさはもう無い。
至って健康そのものだ。毎日決まった時間に目を覚まし、同じ仕事を熟せている。
「怪我もしてませんし、ちゃんと眠れてます」
「そうですか」
返事は穏やかだったが、山南の視線は逸れなかった。
今度は、雪の手元、濡れた指先に注がれている。
「寒気や、目眩は?」
「ないですよ?」
淡々とした問い掛けが繰り返される。山崎でもここまで執拗に問を繰り返さないだろう。
会話が、少しずつずれていっているのがはっきりと感じられた。
池田屋事件を越えた後の新選組は、以前よりも静かで、それでいて忙しい。
雪は洗濯桶を抱え、庭へと回った。
厨の喧騒から離れると、空気が少しだけ軽くなる。
井戸端には、すでに水が張られている。桶に布を沈め、両手で押し洗いをすると、水面が揺れて城い晒しがゆらりと歪んだ。
(……あれ)
一瞬、水に映った自分の姿が、曖昧に揺らいだ気がした。輪郭が滲んだような、霞が掛かったような。
雪は眉を顰め、もう一度水面を覗き込む。
そこには、ちゃんと自分がいる。見慣れた顔、見慣れた髪、見慣れた表情が映っていた。
「……気のせい、だよね」
そう呟いて、布を絞る。水が落ちる音が、規則正しく響いた。
干し場へ向かい、洗い終えた布を竿に掛けていく。
陽の光を受けた白布は、やけに眩しくて、薄い。ひらひらと揺れる布をぼんやりと眺めている、その時だった。
「雪君」
穏やかな声が背後から掛けられる。振り返ると、そこには山南が立っていた。
いつも通りの端正な立ち姿、柔らかな表情。
けれど、眼鏡の奥の視線が一瞬だけ、雪の肩口をすり抜けたように見えた。
「おはようございます、山南さん」
「ええ。もう動いておられたのですね」
そう言いながら、山南は洗濯物と雪とを交互に見た。何処か測るような、確かめるような目つきで。
「近頃、体調はいかがですか」
不意に、そんな言葉が落とされる。
「体調、ですか?」
「辻斬りの一件以来、色々とあって無理をしているのではいないかと」
「ああ……それなら大丈夫です」
雪は笑って答えた。辻斬りの件で雪は大きな被害を受けたが、もう何ヶ月も前のことである。
池田屋事件も数日前のことで、感じていた息苦しさはもう無い。
至って健康そのものだ。毎日決まった時間に目を覚まし、同じ仕事を熟せている。
「怪我もしてませんし、ちゃんと眠れてます」
「そうですか」
返事は穏やかだったが、山南の視線は逸れなかった。
今度は、雪の手元、濡れた指先に注がれている。
「寒気や、目眩は?」
「ないですよ?」
淡々とした問い掛けが繰り返される。山崎でもここまで執拗に問を繰り返さないだろう。
会話が、少しずつずれていっているのがはっきりと感じられた。



