どうせ光の反射具合で偶然そう見えただけだ。心の中で勝手に解釈し、縁側から厨へ足早に向かう。
後に池田屋事件と称して新撰組が歴史に名を刻むことになる騒動から数日。
日に日に隊士の数が増え、雪一人では食事の準備がままならなくなってきていた。
忙しいに越したことはなく、皆の役に立てていると感じられるのはいい。
しかし、流石に限界というものはあり、いつの間にか無くなっていた日替わり当番制が取り戻されつつあった。
厨に向かうと、朝の匂いが満ちている。炊き立ての飯の湯気と、味噌の香り。
鍋に触れる音が、静まり返った厨に小さく響く。
雪は袖をまくり、朝餉の支度を始めた。
身体は問題なく動く。眠気も残っていない。それなのに、胸の奥が、少しだけざわついていた。
(……夢、だったんだよね)
あの妙に暖かくて、懐かしい朝の夢。最早夢なのかどうかすらも怪しい。
(まあ、悪くはない夢だったな)
見ている分には悪くない夢だった様ように思う。朝起きれば食事を用意されていて、外に出れば友達に会える。
夢の中でくらないなら、そんな光景を夢見たっていいだろう。
そう自分自身に言い聞かせ、それ以上は考えないようにして鍋の中へ視線を戻す。
「相変わらず早いね」
背後からやけに楽しそうな声がした。振り向くと、笑顔を浮かべた沖田が立っている。
「総司君。起きてて大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。いい匂いがしてたからつられて来ちゃった」
軽い調子の返事に、雪は少しだけ安心して息を吐いた。
今でも池田屋で見た彼の苦しげな様子が脳裏に焼き付いている。
「でも、池田屋での……」
「少しヘマをしただけ。今は何ともないよ」
沖田はそう言って、厨に足を踏み入れた。
いつも通りの距離感、いつも通りの笑顔、何も変わっていない。
けれど、視線の端で沖田がこちらを見る目つきが、ほんの一瞬だけ変わった気がした。
(……今、何か……)
雪は箸を持った自分の手に目を落とす。いつもと変わらない、白い指先と湯気に濡れる肌。
そのはずなのに、沖田の視線はそこに留まったままだった。
「何か、付いてる?」
冗談めかして言うと、沖田ははっとしたように顔を上げた。
雪に向けられた視線が一瞬逸らされ、何かを誤魔化すように泳がされたように見える。
「え? あ、いや……」
「ずっと、私の手を見てたから」
「いやあ、手際いいなあって思って」
「そうかな」
雪はそう返しながらも、胸の奥に小さな棘が残るのを感じていた。
沖田の様子も、何故か自分自身の様子がおかしい。確実に何かある、そう匂わせられているようで。
手を動かすたびに湯気の向こうで、指先の輪郭が曖昧になる気がした。
見つめ直せば、ちゃんとある。けれど、確信が持てない。
(……気のせい、だよね)
そう思おうとしても、何処かで否定しきれなかった。
「味噌汁、もうすぐ出来るからね」
「うん。楽しみにしてる」
沖田はそう言って、いつもより少しだけ距離を取った。
厨の外では、他の隊士達の気配が増え、屯所はいつもの朝へと戻っていく。
雪は鍋を見つめながら、何故だか、自分がここに「ちゃんと居る」と言い切れない不安を胸の奥に抱えたままだった。
後に池田屋事件と称して新撰組が歴史に名を刻むことになる騒動から数日。
日に日に隊士の数が増え、雪一人では食事の準備がままならなくなってきていた。
忙しいに越したことはなく、皆の役に立てていると感じられるのはいい。
しかし、流石に限界というものはあり、いつの間にか無くなっていた日替わり当番制が取り戻されつつあった。
厨に向かうと、朝の匂いが満ちている。炊き立ての飯の湯気と、味噌の香り。
鍋に触れる音が、静まり返った厨に小さく響く。
雪は袖をまくり、朝餉の支度を始めた。
身体は問題なく動く。眠気も残っていない。それなのに、胸の奥が、少しだけざわついていた。
(……夢、だったんだよね)
あの妙に暖かくて、懐かしい朝の夢。最早夢なのかどうかすらも怪しい。
(まあ、悪くはない夢だったな)
見ている分には悪くない夢だった様ように思う。朝起きれば食事を用意されていて、外に出れば友達に会える。
夢の中でくらないなら、そんな光景を夢見たっていいだろう。
そう自分自身に言い聞かせ、それ以上は考えないようにして鍋の中へ視線を戻す。
「相変わらず早いね」
背後からやけに楽しそうな声がした。振り向くと、笑顔を浮かべた沖田が立っている。
「総司君。起きてて大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。いい匂いがしてたからつられて来ちゃった」
軽い調子の返事に、雪は少しだけ安心して息を吐いた。
今でも池田屋で見た彼の苦しげな様子が脳裏に焼き付いている。
「でも、池田屋での……」
「少しヘマをしただけ。今は何ともないよ」
沖田はそう言って、厨に足を踏み入れた。
いつも通りの距離感、いつも通りの笑顔、何も変わっていない。
けれど、視線の端で沖田がこちらを見る目つきが、ほんの一瞬だけ変わった気がした。
(……今、何か……)
雪は箸を持った自分の手に目を落とす。いつもと変わらない、白い指先と湯気に濡れる肌。
そのはずなのに、沖田の視線はそこに留まったままだった。
「何か、付いてる?」
冗談めかして言うと、沖田ははっとしたように顔を上げた。
雪に向けられた視線が一瞬逸らされ、何かを誤魔化すように泳がされたように見える。
「え? あ、いや……」
「ずっと、私の手を見てたから」
「いやあ、手際いいなあって思って」
「そうかな」
雪はそう返しながらも、胸の奥に小さな棘が残るのを感じていた。
沖田の様子も、何故か自分自身の様子がおかしい。確実に何かある、そう匂わせられているようで。
手を動かすたびに湯気の向こうで、指先の輪郭が曖昧になる気がした。
見つめ直せば、ちゃんとある。けれど、確信が持てない。
(……気のせい、だよね)
そう思おうとしても、何処かで否定しきれなかった。
「味噌汁、もうすぐ出来るからね」
「うん。楽しみにしてる」
沖田はそう言って、いつもより少しだけ距離を取った。
厨の外では、他の隊士達の気配が増え、屯所はいつもの朝へと戻っていく。
雪は鍋を見つめながら、何故だか、自分がここに「ちゃんと居る」と言い切れない不安を胸の奥に抱えたままだった。



