羽織の袖口で口元を覆い、沖田は目の前の敵を見据える。
先程とは打って変わって、今の彼の背中は上から重いものが伸し掛かったかのように小さくなっていた。
次の瞬間、鈍い音が二人の耳に届く。
火花が散り、志士が振り上げていた刀が弾かれた。
「下がれ!」
低く、鋭い声が辺り全体に轟く。怒鳴ったわけでもないのに、身体の芯まで震えた。
志士の刀を弾いたのは、異変に気が付き助太刀に入った土方だった。
血と硝煙の匂いが充満する中で、彼だけが異様なほど冷静である。
無駄のない一太刀。相手の動きを断ち切り、間合いを制する。
戦場に立つ人間の背中を、雪は初めて真正面から見た。
「……っ、土方さん……」
土方が駆けつけてくれた安心感から。声が掠れる。
その声に返事をすることはないまま、土方は目の前の志士を斬り捨てた。
雪は、二人の背後で、ただ黙ってその光景を見ていることしかできなかった。
「……あーあ」
聞き慣れたはずの沖田の軽い声は、明らかに何かがおかしかった。
「やっぱ、出しゃばりすぎましたかね……」
笑っているのに、口元を押さえた指の隙間から赤が零れる。
みるみる内に顔色は青白くなり、土方を見上げる目が曇り始めた。
「……総司」
振り返った土方の声が、僅かに低くなる。
彼もまた、雪が抱くものと同じ一抹の不安を感じたのだろう。
頭の中に浮かんだ嫌な予感は、気の所為ではないらしい。
焦りと苦痛に歪んだ表情を浮かべて、土方は口を開く。
「まだ、やれ――……」
その言葉は、続かなかった。けれど、その先の言葉が何であったのかは想像できる。
口を噤んだ土方の前で、もう一度沖田は激しく咳き込み血を吐いた。
沖田の身体が大きく揺れ、膝が畳に落ちる。
「総司君!」
考えるより先に、身体が動いていた。
雪は駆け寄り、沖田の腕を取る。
思った以上に軽い。命が、指先から抜けていくみたいだった。
「……ごめんね」
沖田が、困ったように笑う。
「隠してたんだ。知られたら……前に立てなくなるから」
その言葉で、全てを悟った。沖田は、ずっと限界だったのだと。
今まで気づけずにいた罪悪感が重く伸し掛かった。
「もう、十分だから」
雪は首を振り、必死に沖田を支える。
「これ以上、前に出ないで。総司君が倒れたら……」
その先は、言えなかった。沖田の血に汚れた浅葱色の羽織を握り締めて、雪は言葉を途切れさせる。
土方は二人の方を振り返り、鋭さを滲ませた目を沖田に向けた。
「総司、退け」
「……土方さん」
「命令だ」
それだけだった。
沖田は一瞬だけ目を伏せ、それから雪に身体を預ける。
「……参ったなぁ」
沖田は苦笑いを浮かべながら、小さく息を吐いた。
その言葉が土方に届いたのかは分からない。
それでも、再び前を向いた土方は刀を強く握り締めた。
「ここから先は、俺がやる」
その背中は、誰にも踏み越えさせない境界線のようだった。
雪は沖田を支えながら、静かに後退する。もう、池田屋の中を見なくても分かった。
この夜は、終わりに向かっている。
血と怒号の夜の中でそれでも確かに、守られた命があった。
先程とは打って変わって、今の彼の背中は上から重いものが伸し掛かったかのように小さくなっていた。
次の瞬間、鈍い音が二人の耳に届く。
火花が散り、志士が振り上げていた刀が弾かれた。
「下がれ!」
低く、鋭い声が辺り全体に轟く。怒鳴ったわけでもないのに、身体の芯まで震えた。
志士の刀を弾いたのは、異変に気が付き助太刀に入った土方だった。
血と硝煙の匂いが充満する中で、彼だけが異様なほど冷静である。
無駄のない一太刀。相手の動きを断ち切り、間合いを制する。
戦場に立つ人間の背中を、雪は初めて真正面から見た。
「……っ、土方さん……」
土方が駆けつけてくれた安心感から。声が掠れる。
その声に返事をすることはないまま、土方は目の前の志士を斬り捨てた。
雪は、二人の背後で、ただ黙ってその光景を見ていることしかできなかった。
「……あーあ」
聞き慣れたはずの沖田の軽い声は、明らかに何かがおかしかった。
「やっぱ、出しゃばりすぎましたかね……」
笑っているのに、口元を押さえた指の隙間から赤が零れる。
みるみる内に顔色は青白くなり、土方を見上げる目が曇り始めた。
「……総司」
振り返った土方の声が、僅かに低くなる。
彼もまた、雪が抱くものと同じ一抹の不安を感じたのだろう。
頭の中に浮かんだ嫌な予感は、気の所為ではないらしい。
焦りと苦痛に歪んだ表情を浮かべて、土方は口を開く。
「まだ、やれ――……」
その言葉は、続かなかった。けれど、その先の言葉が何であったのかは想像できる。
口を噤んだ土方の前で、もう一度沖田は激しく咳き込み血を吐いた。
沖田の身体が大きく揺れ、膝が畳に落ちる。
「総司君!」
考えるより先に、身体が動いていた。
雪は駆け寄り、沖田の腕を取る。
思った以上に軽い。命が、指先から抜けていくみたいだった。
「……ごめんね」
沖田が、困ったように笑う。
「隠してたんだ。知られたら……前に立てなくなるから」
その言葉で、全てを悟った。沖田は、ずっと限界だったのだと。
今まで気づけずにいた罪悪感が重く伸し掛かった。
「もう、十分だから」
雪は首を振り、必死に沖田を支える。
「これ以上、前に出ないで。総司君が倒れたら……」
その先は、言えなかった。沖田の血に汚れた浅葱色の羽織を握り締めて、雪は言葉を途切れさせる。
土方は二人の方を振り返り、鋭さを滲ませた目を沖田に向けた。
「総司、退け」
「……土方さん」
「命令だ」
それだけだった。
沖田は一瞬だけ目を伏せ、それから雪に身体を預ける。
「……参ったなぁ」
沖田は苦笑いを浮かべながら、小さく息を吐いた。
その言葉が土方に届いたのかは分からない。
それでも、再び前を向いた土方は刀を強く握り締めた。
「ここから先は、俺がやる」
その背中は、誰にも踏み越えさせない境界線のようだった。
雪は沖田を支えながら、静かに後退する。もう、池田屋の中を見なくても分かった。
この夜は、終わりに向かっている。
血と怒号の夜の中でそれでも確かに、守られた命があった。



