想いと共に花と散る

 池田屋の前に辿り着いた瞬間、異変は一目で分かった。
 建物の内側から、怒号と剣戟の音が溢れ出している。
 障子越しに揺れる灯りは激しく、まるで建物そのものが呼吸しているかのようだった。

「……もう、始まってやがる」

 隊の先頭に立つ土方が吐き捨てるように言う。
 玄関先の戸は半ば破られ、床には血の跡が点々と続いていた。
 誰のものかも分からない足跡が重なり、乱戦の激しさを物語っている。

「副長!」

 入口脇に倒れ込んでいた隊士が、土方の姿を認めて声を上げた。
 肩を押さえ、顔色は青白い。

「中は……二階が……!」
「喋るな。生きてりゃいい」

 土方はそう言い残し、即座に隊士達へ指示を飛ばす。

「二手に分かれる! 俺は二階へ行く! お前らは下を固めろ!」

 号令と共に、隊士達が池田屋へ雪崩れ込む。
 剣戟の音が一層近くなり、空気が肌を刺した。

「雪!」

 振り返った土方の視線が、鋭く突き刺さる。
 その視線を見ただけで、彼から何を言われるのかなど想像に固くなかった。

「ここにいろ。絶対に中へ入るな」

 破れば切腹だ───。そう言わんばかりの、有無を言わせぬ声だった。

「……分かりました」

 雪はそう答えた。否、そう答えることしか許されなかった。
 だが、それは“従う”という意味ではない。
 土方が中へ消えた直後、雪は入口付近に倒れている別の隊士に気づく。

「……っ!」

 血に染まった羽織。浅い呼吸。
 今にも意識を失いそうなその姿に、雪は反射的に駆け寄った。

「しっかりしてください!」

 肩を支えようとした瞬間、隊士の体が大きく傾ぐ。

「……中……仲間が……」

 それだけを言い残して男の身体から力が抜けた。
 雪は歯を食いしばり、壁によりもたれ掛からせるように寝かせると、池田屋を睨め付ける。

(放っておけるわけがない……)

 中へ入るつもりはなかった。
 ただ、少しだけ――様子を見るつもりだった。
 入口を一歩越えた、その瞬間。
 剣がぶつかり合う音が間近で鳴り、雪は思わず息を呑む。

「下にも来たぞ!」

 誰かの叫び声。その直後には激しい物音と共に何かの破壊音が飛んでくる。
 視界の端で倒れ込む人影が見えた。
 しかし、味方か敵か判断する余裕はない。

「……っ!」

 足元が滑り、雪は思わず壁に手を着いた。その拍子に、開きかけていた襖が大きく揺れる。
 二階から、何かが落ちてきた。
 床を打つ鈍い音。それは、血に濡れた新撰組の隊士だった。

「……助け……」

 掠れた声が、確かに聞こえた。浅葱色の羽織を真紅に染め、雪に向けられた目には最早希望はない。
 その瞬間、雪の中で何かが切れた。考えるより先に、身体が動く。

「大丈夫です、今……!」

 隊士を支えようと一歩踏み出した、その背後。

「――……動くな」

 低く、冷たい声が響いた。
 次の瞬間、背後から腕を強く掴まれる。息が詰まり、視界が揺れた。

「いいところに来たな」

 耳元で囁かれる声。聞いたことのない、低く荒んだ声だ。
 新撰組の誰でもない、命を奪い合う敵のものであるとすぐに理解する。

「騒げば、どうなるか……分かるだろう?」

 雪の視線の先で、刀を構えた尊攘派の志士達がこちらを見ていた。