想いと共に花と散る

 夜の池田屋は、不気味なほど静まり返っていた。
 表通りに面した格子戸は閉ざされ、灯りは最小限に落とされている。
 だが、完全な闇ではない。二階の障子越しに、微かに揺れる光があった。
 近藤率いる一同は、道の向かい、物陰に身を潜めながらその建物を見据えていた。

「……随分と人が多いな」
「一時的な集合場所にしては、騒がしすぎるのでは」

 近藤の低く呟く声に、隣の永倉が静かに頷く。
 耳を澄ませば、障子の向こうから微かな話し声が漏れ出てきた。
 笑い声はない。緊張を孕んだ、抑えた声だ。
 それも、ただの寄り合いではない。
 この京の町を混沌の渦に陥れるための話し合いが繰り広げられている。そのため、辺りに漂う空気は以上なほど張り詰めていた。
 近藤は一瞬、視線を伏せる。四国屋に向かった土方の顔が脳裏を過った。

(トシ……外したか)

 確証はない。
 だが、ここまで揃ってしまえば最早偶然では済まされないだろう。
 池田屋の裏手から細い路地に回った藤堂が、身を低くして戻ってくる。

「局長。裏口にも人の気配があります。見張りが二人」

 その報告で決まった。
 近藤はゆっくりと息を吸い、重く深く吐き出す。

「……本命は、ここだ」

 夜の闇に近藤の重い声が解けて消えた。
 一同の表情が引き締まり、緊張が覚悟へと変わる。
 近藤の斜め後ろにいた沖田が、楽しげに口元を緩めた。

「やっぱり、って感じですね」

 その声は軽い。まるで緊張を感じさせない声に、一瞬だけ近藤の表情が穏やかになる。
 だが、刀に掛けられた指先は異様なほど冷静だった。
 全員が刀の柄に手を掛け、臨戦態勢を取る。いつでも池田屋の中に飛び込む準備はできている、そう無言で示していた。
 近藤は仲間達を見回し、静かに吐き捨てる。

「ここで逃せば、京が燃える。――行くぞ」

 その言葉に、誰も異を唱えなかった。
 池田屋に真正面から向かい、足音を殺して近づく。
 木の扉に手を掛けた、その瞬間。中から、はっきりとした声が聞こえた。

「……決行は、今夜だ」
「御所に火を放てば、幕府は動くしかあるまい」

 低く潜められた長州の尊攘志士らしき声。
 疑惑は確信へと変わる。最早、疑いも躊躇も何も必要はなくなった。

「お前達、行くぞ」

 短く、それだけを告げる。
 次の瞬間、刀を抜いた近藤は扉を蹴破った。

「新撰組! 御用改である!」

 怒号が夜を裂く。びりびりと耳を劈くその大声は、すぐに建物の二階にまで届いた。
 浅葱色の羽織を翻して階段を一気に駆け上がり、二階の襖の前に立つ。
 軋む床板、荒い息遣い、人の気配が、一斉に動いた。
 躊躇はない。ここで引き下がれば、京が火の海と化すことは確定する。
 逃げるなどという選択肢はなく、近藤は容赦なく襖を開け放った。

「壬生狼だ!」

 灯りの下に集まっていた男達の動きが一瞬止まり、次の瞬間には刀が抜かれる音が重なる。

「神妙に縛に就け。手向かい致すと容赦せぬ!」

 部屋の中には、予想を大きく上回る二十人近くの尊攘派の志士が集まっていた。
 蝋燭の火が消え、部屋の中は一気に薄暗くなる。

「抵抗するならば、斬り捨てるまで!」

 近藤の号令と同時に、池田屋は戦場へと変わった。