その日の夕刻、雪は人目を避けるように屯所を抜け出した。
見張りの目を盗み、勝手知ったる裏口から外へ出る。胸の鼓動がやけに大きく、耳の奥で響いていた。
(少しだけ……本当に、少しだけ)
自分に言い聞かせるように京の町を歩く。
浅葱色の羽織が視界に入らないだけで、町は驚くほど広く自由に見えた。
歩き慣れた道を進み、やがてあの甘味処が見えてくる。
夕焼け空の下、店先で小夜は待っていた。
「雪!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなる。
小夜はいつも通りの笑顔で、何も変わっていないように見えた。
頭の上で大きく手を降る彼女の元に駆け寄り、雪もつられて笑う。
「いきなりごめんな。忙しかったんやない?」
「ううん、大丈夫! 誘ってくれて嬉しかったよ」
この日は珍しく、隣を歩く小夜の唇に紅が塗られている。
彼女もまたこの時間を楽しみにしていたのか、華やかな色味の着物を着て髪を結い上げていた。
そんな小夜の隣を歩く雪は、普段と変わらず袴姿に辛うじて髪を一つに束ねているだけ。桜色の紙紐があるおかげで少し見た目に花が添えられているが、着物の地味さで薄れてしまっている。
「折角やし、まずはご飯でも食べようや。今日は日が沈むまで遊ぶんやからね」
「いいね。小夜のお勧めのお店があったりするの?」
「ええ所知ってんで。ほら、行こ!」
差し伸べられた手に自身の手を重ね、二人は夕焼け空の下を歩き出す。
小夜の隣を歩いている間だけは、自分自身もありのままの自分でいられる。雪は小夜の手を握り歩いていた間、密かにそんな事を考えていた。
「ここやで」
「おおー、これってお蕎麦屋さん?」
「そ。店主と顔馴染みでな、よう来んねん」
「それは信用度が高いなー」
手を引かれるままに店に入ると、出汁の香りが鼻腔を擽る。
今日も朝から会議があったため朝餉を食べ損ね、昼は小夜からの誘いに浮かれて食べ損ね、今に至るまで何も食べていなかった。
そのことに気が付くなり腹の虫が鳴りを始める。思わず隣りに立っている小夜に視線を向けるが、彼女は店内を見渡していて気付いていない様子であった。
「おっちゃーん、こんにちはぁ」
「おお、小夜かえ! なんやなんや、友達連れてきたんか」
「そう! 私の友達!」
「そりゃええ! そこの空いとる席勝手に座り!」
店の奥にいた中年の男性は、小夜を見るなり店内に響き渡る大声を上げる。
あまりの気迫に雪は怖気づくが、満面の笑みを浮かべて席に着く小夜を見るとそんな気持ちも無くなる。
友達という存在はこんなにも心強いのかと、雪はこの時初めて知った。
「雪は何にする?」
向かいに座った小夜に促され、雪は店の壁に貼られた品書きに目を向けた。
当然のことながら、雪は蕎麦屋などに行ったことはない。品書きを見てもどういったものなのか想像すらできなかった。
「うーん……最近寒いし、かけ蕎麦にしよか」
「う、うん」
迷いを見せる雪を見兼ねて小夜が助け舟を出した。
彼女が選んだかけ蕎麦が何なのかよく分からないながらも、ただこの平穏な時間に身を委ねていた。
見張りの目を盗み、勝手知ったる裏口から外へ出る。胸の鼓動がやけに大きく、耳の奥で響いていた。
(少しだけ……本当に、少しだけ)
自分に言い聞かせるように京の町を歩く。
浅葱色の羽織が視界に入らないだけで、町は驚くほど広く自由に見えた。
歩き慣れた道を進み、やがてあの甘味処が見えてくる。
夕焼け空の下、店先で小夜は待っていた。
「雪!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が温かくなる。
小夜はいつも通りの笑顔で、何も変わっていないように見えた。
頭の上で大きく手を降る彼女の元に駆け寄り、雪もつられて笑う。
「いきなりごめんな。忙しかったんやない?」
「ううん、大丈夫! 誘ってくれて嬉しかったよ」
この日は珍しく、隣を歩く小夜の唇に紅が塗られている。
彼女もまたこの時間を楽しみにしていたのか、華やかな色味の着物を着て髪を結い上げていた。
そんな小夜の隣を歩く雪は、普段と変わらず袴姿に辛うじて髪を一つに束ねているだけ。桜色の紙紐があるおかげで少し見た目に花が添えられているが、着物の地味さで薄れてしまっている。
「折角やし、まずはご飯でも食べようや。今日は日が沈むまで遊ぶんやからね」
「いいね。小夜のお勧めのお店があったりするの?」
「ええ所知ってんで。ほら、行こ!」
差し伸べられた手に自身の手を重ね、二人は夕焼け空の下を歩き出す。
小夜の隣を歩いている間だけは、自分自身もありのままの自分でいられる。雪は小夜の手を握り歩いていた間、密かにそんな事を考えていた。
「ここやで」
「おおー、これってお蕎麦屋さん?」
「そ。店主と顔馴染みでな、よう来んねん」
「それは信用度が高いなー」
手を引かれるままに店に入ると、出汁の香りが鼻腔を擽る。
今日も朝から会議があったため朝餉を食べ損ね、昼は小夜からの誘いに浮かれて食べ損ね、今に至るまで何も食べていなかった。
そのことに気が付くなり腹の虫が鳴りを始める。思わず隣りに立っている小夜に視線を向けるが、彼女は店内を見渡していて気付いていない様子であった。
「おっちゃーん、こんにちはぁ」
「おお、小夜かえ! なんやなんや、友達連れてきたんか」
「そう! 私の友達!」
「そりゃええ! そこの空いとる席勝手に座り!」
店の奥にいた中年の男性は、小夜を見るなり店内に響き渡る大声を上げる。
あまりの気迫に雪は怖気づくが、満面の笑みを浮かべて席に着く小夜を見るとそんな気持ちも無くなる。
友達という存在はこんなにも心強いのかと、雪はこの時初めて知った。
「雪は何にする?」
向かいに座った小夜に促され、雪は店の壁に貼られた品書きに目を向けた。
当然のことながら、雪は蕎麦屋などに行ったことはない。品書きを見てもどういったものなのか想像すらできなかった。
「うーん……最近寒いし、かけ蕎麦にしよか」
「う、うん」
迷いを見せる雪を見兼ねて小夜が助け舟を出した。
彼女が選んだかけ蕎麦が何なのかよく分からないながらも、ただこの平穏な時間に身を委ねていた。



