想いと共に花と散る

 朝が来た。これまでと何も変わらない、静かな朝が。
 それまで当たり前にあったはずの怒鳴り声も、酒の匂いも、夜更けまで続いた騒ぎもない。
 けれど、何処か息が詰まるような重さだけが残っていた。
 何一つ変わらない。起きて、顔を洗い、飯を食い、稽古に出る。見回りも、報告も。

 それでも……――変わったのは、間だった。

 誰かが笑っても、その後に一拍の沈黙が落ちる。冗談が途中で途切れ、視線が自然と土方へ向く。命令が下る前に、身体が先に動くようになった。
 土方は以前よりも口数が少なくなった。怒鳴ることも、苛立ちを表に出すことも減り、ただ淡々と指示を出し、結果だけを見る。
 近藤もまた、変わっていた。笑顔は変わらない。声も柔らかいまま。
 だが、一人一人の顔を以前より長く見るようになった。

 ――守るべきものが、人から組織へと移ったのだと、誰も口にしないまま、皆が気づいていた。

 雪は、その空気の中で働いていた。厨で火を起こし、掃除をし、洗濯物を干す。
 誰かが通れば道を空け、必要とされればすぐに動く。
 以前より声を掛けられる回数は減った。だが、それは遠ざけられているというより、巻き込まれないように守られているのだと分かる。
 それが、少しだけ寂しかった。変わらないと、変わりたくないと思っていた関係が変わってしまったような気がして。
 だから雪は、その寂しさを誤魔化すためにこれまで以上に働いた。
 炊事も、掃除も、洗濯も。そして部屋で筆を握っている土方を見かければ茶を出すことも、何だってした。

「私は、新撰組の一員……。そして、土方歳三の小姓……」

 誰もいない厨に、味噌汁が煮える音と共にそんな独り言がやけに大きく響いた。
 その独り言は、雪という一つの人格を保つための呪文でもあった。
 朝餉が整い膳を並べる頃になって、ようやく隊士達が離へと集まってくる。
 一人、また一人。皆、顔色が以前と違った。
 眠れていないのかくっきりと浮かんだ目元の隈。乱雑に結われたボサボサの髪。
 それでも、誰も欠けてはいない。――否、一人を除いて。
 定位置に近藤が座り、土方が無言でその隣に腰を下ろす。
 山南も、沖田も、原田も、永倉も、藤堂も。全員、揃っている。

「……いただこう」

 いつも通りのセリフを言う近藤の声は、いつもより低く短かった。
 手を合わせる音が揃わない。箸を取る動作も何処かぎこちない。
 食事は、これまでと同じはずだった。当たり前に雪が作って、雪が運んだもの。
 米も、味噌も、具も。それなのに、味がしない。
 雪は箸を持ったまま、皆の様子を窺っていた。
 誰も、あの男の名を出さない。
 誰も、あの部屋のことを口にしない。
 誰も、あの夜のことを話そうとはしなかった。
 ただ、「触れてはいけないもの」が確かに存在していた。