微かな怒りを含んだ声音で言った斎藤は、襟巻きで口元を覆う。
その横顔からは想像を超えたやるせなさが滲み出ていた。
自身がその場にいたからこそ、事件を止められなかったことに責任を感じているのだろう。
「……もう一つは?」
自責の念にかられる彼にこれ以上話を聞くのは憚られたが、ここまで来たならば知らなくてはならない気がした。
芹沢鴨という男が何故そんな大事件を起こしたのか。壬生浪士組は、過去にどのような事件を経て、今に至っているのか。
恐る恐る小さな声で問う雪に、斎藤は短く息を吐く。
「京にある大和屋で起きたことだ。商人が芹沢を咎め、本人はその態度が気に入らなかった……それだけだ」
「それだけ、で……?」
「芹沢達は夜に火を放った。店は焼け、逃げ遅れた者もいた」
言葉上でしか事件の様子を想像できない雪と違って、実際にその事件を目の当たりにしている斎藤は何を思っているのか。
雪には問うても到底理解できないことであった。
顔色一つ変えない斎藤は、その声音にすら感情の起伏を感じさせず淡々としている。
その反面、雪は戸惑いを隠しきれず震えた声を出した。
「罪には、問われたんですか?」
「……問われていない」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる思いだった。
この屋敷の中にいる男は、今も酒に溺れ暴れる男は、この先の歴史に刻まれる大事件を犯した張本人なのだ。
そんな男が当たり前に出入りしている。そして、自分はそんな男と最も近い場所にいるというのが、何よりも雪を怯えさせた。
「だから、誰も止められなかった。いや……止めなかった、の方が正しい」
長い、長い沈黙が落ちる。雪も斎藤も、何も言わず互いに全く違う方向へ視線を落とした。
しばしの沈黙の末、口を開いたのは雪だ。それでも、何を言うべきか分からず、口から突いて出たのは思っても見ないこと。
「斎藤さんは……怖くないんですか?」
その問いに、斎藤は一瞬だけ目を伏せた。
しかしすぐに目を開け、真っ直ぐと目の前の景色を睨みつける。
「怖いさ」
問われて即答するのは、斎藤という男の癖のようなもの。
本心には嘘を吐けず、事実は事実として片付けてしまう彼の冷酷さであった。
「だが、恐怖で動く男じゃない。あの人は、“許されてきた”ことに酔っている」
だから――と、続ける。
「組織が掟を持たなければ、いずれ、もっと多くの血が流れる」
雪は言葉を失った。芹沢という人間が恐ろしいのではない。
それを許してきた環境そのものが、恐ろしいのだと理解してしまったから。
「……教えてくれて、ありがとうございます」
微かに頭を下げながらそう言うと、斎藤は力なく首を振った。
こういう時、沖田であれば無理矢理にでも安心付けるような事を言うのだろう。藤堂であれば、笑って話を終わらせたかもしれない。
けれど、斎藤は笑うこともなければ、嘘を吐いてまで怯える雪を安心させようとはしない。
「礼を言うな。お前は、本当は知らなくていい立場だ」
不器用な物言いの真意は計り知れない。
立ち上がって背を向ける斎藤の後ろ姿は、土方や近藤達とはまた違う覚悟が滲んでいた。
「それでも、知ろうとした以上は目を逸らすな」
一瞬振り返った彼はその言葉を残して去っていく。
その言葉は、雪への忠告だったのかもしれない。
その横顔からは想像を超えたやるせなさが滲み出ていた。
自身がその場にいたからこそ、事件を止められなかったことに責任を感じているのだろう。
「……もう一つは?」
自責の念にかられる彼にこれ以上話を聞くのは憚られたが、ここまで来たならば知らなくてはならない気がした。
芹沢鴨という男が何故そんな大事件を起こしたのか。壬生浪士組は、過去にどのような事件を経て、今に至っているのか。
恐る恐る小さな声で問う雪に、斎藤は短く息を吐く。
「京にある大和屋で起きたことだ。商人が芹沢を咎め、本人はその態度が気に入らなかった……それだけだ」
「それだけ、で……?」
「芹沢達は夜に火を放った。店は焼け、逃げ遅れた者もいた」
言葉上でしか事件の様子を想像できない雪と違って、実際にその事件を目の当たりにしている斎藤は何を思っているのか。
雪には問うても到底理解できないことであった。
顔色一つ変えない斎藤は、その声音にすら感情の起伏を感じさせず淡々としている。
その反面、雪は戸惑いを隠しきれず震えた声を出した。
「罪には、問われたんですか?」
「……問われていない」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる思いだった。
この屋敷の中にいる男は、今も酒に溺れ暴れる男は、この先の歴史に刻まれる大事件を犯した張本人なのだ。
そんな男が当たり前に出入りしている。そして、自分はそんな男と最も近い場所にいるというのが、何よりも雪を怯えさせた。
「だから、誰も止められなかった。いや……止めなかった、の方が正しい」
長い、長い沈黙が落ちる。雪も斎藤も、何も言わず互いに全く違う方向へ視線を落とした。
しばしの沈黙の末、口を開いたのは雪だ。それでも、何を言うべきか分からず、口から突いて出たのは思っても見ないこと。
「斎藤さんは……怖くないんですか?」
その問いに、斎藤は一瞬だけ目を伏せた。
しかしすぐに目を開け、真っ直ぐと目の前の景色を睨みつける。
「怖いさ」
問われて即答するのは、斎藤という男の癖のようなもの。
本心には嘘を吐けず、事実は事実として片付けてしまう彼の冷酷さであった。
「だが、恐怖で動く男じゃない。あの人は、“許されてきた”ことに酔っている」
だから――と、続ける。
「組織が掟を持たなければ、いずれ、もっと多くの血が流れる」
雪は言葉を失った。芹沢という人間が恐ろしいのではない。
それを許してきた環境そのものが、恐ろしいのだと理解してしまったから。
「……教えてくれて、ありがとうございます」
微かに頭を下げながらそう言うと、斎藤は力なく首を振った。
こういう時、沖田であれば無理矢理にでも安心付けるような事を言うのだろう。藤堂であれば、笑って話を終わらせたかもしれない。
けれど、斎藤は笑うこともなければ、嘘を吐いてまで怯える雪を安心させようとはしない。
「礼を言うな。お前は、本当は知らなくていい立場だ」
不器用な物言いの真意は計り知れない。
立ち上がって背を向ける斎藤の後ろ姿は、土方や近藤達とはまた違う覚悟が滲んでいた。
「それでも、知ろうとした以上は目を逸らすな」
一瞬振り返った彼はその言葉を残して去っていく。
その言葉は、雪への忠告だったのかもしれない。



