根暗な貴方は私の光

 広げていた名簿を閉じると、教卓の上に肘を置いて女子生徒達に顔を近づけて耳打ちをする。

「そうよ」

 そう言うや否や乙女なお年頃の女子生徒たちは「きゃー」と歓声を上げる。
 紬からしてみれば他人の恋バナ、ましてや十年も昔の話を聞いて何が楽しいのかと疑問ですらある。しかし、宝物のような生徒達が喜んでいるのなら悪い気はしなかった。
 
 そう、十年も昔のことだ。十年前に別れを告げられず、今でも引き摺っている未練がましい恋。

「あの人が私に教えてくれたのは、名前だけだった。あの人は一度だけ、私のことを名前で呼んでくれたのよ」
「一回だけ? それからは呼んでもらえなかったんですか?」
「次の日にはまた普段通り苗字で呼んだの。私は何度か彼を下の名前で呼んでみたけど、彼が振り返ってくれることはなかった」

 互いに想い合っていると分かったのに。互いに触れ合いたいと思っていたのに。
 結局、彼に名前を呼んでもらえたのも隣にいられたのも、あの焼け落ちた女学校の中での一瞬だけだった。

「でも、決して不幸じゃなかった。一度でも彼の口から私の名前を呼んでもらえた。それだけで、その時の私は十分だったの」
「……先生って意外と健気なんですね」
「そうよ。私健気なのよ。生まれてから今まで愛した人は彼だけなんだから」

 また歓声が上がるものだと思っていた。この年頃の女子は「愛している」だとか、「好き」だとかいう言葉が好きなものだと思っていたからだ。
 けれど、伏せていた目を開けると、生徒達は涙を目に浮かべて静かに紬を見ていた。

「貴方達……」

 その時、突然視界が歪んだ。女子生徒達の顔がぼやけて輪郭を失っていく。
 一筋の涙が頬を濡らした。

「先生……?」

 大人げないはずなのに、情けないはずなのに、一度流れ出した涙は止まることを知らないように流れ続ける。
 目の前で話を聞いていた女子生徒達は、突然涙を流した紬の背中を擦るなどして懸命に慰めようとした。
 紬はそんな女子生徒達の優しさに甘えて嗚咽を漏らしながら泣き出す。教卓の縁を掴みながら、彼女は崩れ落ちた。