ぷつんと音を立てて何かが千切れる。その瞬間、全てがどうでもよくなった。全て理解してしまった。悲劇が起こって、自分は地獄に叩き落された。
ずっとギリギリのところで繋ぎ止めていた糸が今この瞬間千切れたのだ。
この糸は蘭の防波堤だった。押し寄せる津波を防ぐための、現実から蘭の心を守るための防波堤。
はじめは一本だけで細かった糸。毎朝目を覚ませば独りであることを知らしめられて、その度に千切れていた糸。
そんな脆く細かった糸が今まで千切れてこなかったのは、志筑という存在がずっと繋ぎ止めてくれていたからだった。
何度も逃げ出そうとして、何度も拒絶しようとして、何度も突き放そうとした。けれど、結局離れられなかった。
志筑がいなくなれば、傍から離れてしまえばこの糸が千切れてしまうと分かっていたから。
「志筑、志筑……。嫌だ、嫌」
「蘭、こっちを見ろ」
志筑の声が雑音が混ざって歪んで聞こえる。全ての音に雑音が混ざって蘭の鼓膜を複雑に揺らした。
最早、志筑の声すら不快だった。聞いているだけで罪悪感と不快感とに押し潰されて吐き出しそうだったのだ。
「蘭、頼むから。頼むからこっちを見てくれ」
なんで、その名前を口にするの。なんで、迷いもなくその名前を口にできるの。
その名前の人間は、今あんたを拳銃で撃ったんだよ。あんたがそんなに苦しそうにするのは、その激しい痛みに苦しんでいるのは、全部私のせいなんだよ。
やめてよ、そんな優しくその名前を呼ばないで。もう、やめて。
「嫌……。ごめんなさい、ごめんなさい………」
「謝罪なんざ聞きたくねぇ。俺は死んでねぇ、勝手に殺すな」
「でも、でもっ……。血が、血、が……」
自身の右手に付いた血と志筑の指の間から流れ出る血を交互に見やる。同じ赤い鮮血は、志筑の生気を徐々に奪い取っていた。
血が流れ出るたびに、声を絞り出すたびに、志筑の表情は苦しそうに歪められる。
その苦しみの原因が自分のせいであると理解するたびに、何もかもを捨てて逃げ出したいとさえ思った。
自分のせいで。自分さえいなければ、こんなことにならなかったのに。
「出会って、ごめんなさい……。ごめんなさい」
歪む視界に映ったのは、苦しげに青ざめた志筑の顔だった。
そこで意識は途絶える。名前も知らない男の腕の中で蘭は深い眠りに付いた。



