荒廃した世界で、君と非道を歩む

 出会ってから志筑は随分と様々な表情を向けるようになった。
 最初は、ただ恨みの感情に支配され、生きることに意味を持たない死んだ魚の目を向けるだけ。濁った琥珀色の瞳に光が宿ることなど無いと思われていた。
 そんな彼が初めて見せた笑顔は、廃墟の一室で蘭の名前を「いい名前」だと言った時である。蘭にとってその言葉が何よりも嬉しく、そして全てであった。
 自分の娘を強制的に援交させたり、育児放棄をしていた父親が付けた名前など反吐が出るほど嫌いで。
 けれど志筑は父親が付けた名前だからではなく、蘭という一人の人間を形作るいい名前だと言った。それは、蘭という人間の存在証明であったのだ。
 二人で訪れた海ではしゃぐ志筑は年齢の割に子供らしく見えた。まるで、精神が子供のまま身体だけが大人になってしまったようで。
 年齢で言えば二、三歳しか変わらない。それなのに志筑は随分と大人びていて、肝が座っているようだった。そんな彼にも子供らしい一面はある。その一面を知っているのが、この世界で唯一人であることが蘭に背徳感を覚えさせた。
 星空の下、彼は約束してくれた。理想の死に場所を見つけた時、蘭をその手で殺すと。
 そして、蘭は彼と約束した。蘭に手を掛ける最後の瞬間、後悔はさせないと。

「馬鹿だね……。やっぱり、このままじゃ死ねないよ」
「生きるも死ぬもお前の勝手だ。死にたいと思えるようになるまで、俺は何処へだってついて行く」

 微かに流れていた涙を指先で拭い、志筑はふっと小さく笑みを落とす。
 たとえ巷を騒がせる殺人鬼であるとしても、志筑は人間である。命を持ってして生まれて、名前を与えられて、言葉を発する。
 何かを好きだと言って、何かを嫌いだと言う。志筑も蘭も平等に人間であり、感情を持っているのだ。

「お客さん、この辺りでよろしいですかね」
「はい。ありがとうございました」

 気がつけば、二人が乗っていたタクシーは田舎町を抜け、賑やかな明るい街に入っていた。
 運転手が路肩にタクシーを止め、志筑が料金を支払って二人はタクシーを降りる。二人が降りると同時にタクシーは一目散に走り去って行った。

「ねえ、何処に行くの? また海?」
「どうだかな」
「えー、何それ」
「何かしたいことはねぇのか? 俺はまた海に行きてぇけど、その前にこの街で何かして行かないか?」

 先程二人がいた田舎町とは違い、この街は商業施設が立ち並び、お洒落なカフェなどが立ち並ぶ賑やかな街だ。
 死に場所を探す前に二人で思い出を作るのにはうってつけの場所である。

「そうだなぁ。朝ごはん食べて無くてお腹すいたから、何か食べたい!」

 今この瞬間だけは、タクシーの中で感じていた不安など忘れよう。ただ目の前の幸せな時間にだけ意識を向けるのだ。