「助けて、お兄ちゃん!」
そう叫ぶと同時に耳元で空気を切る素早い音が聞こえた。それはたった一瞬の出来事である。
音が聞こえたかと思えば視界の先で赤い飛沫が舞った。
「うわあああ! いってぇ!」
突然大声を上げながら男が地面に転がる。蹲って唸る男は自身の右手首を掴んで脂汗を浮かべていた。
そして地面には、男のものであろう赤い液体が広がっていく。次から次へと止め処なく溢れていく血液に塗れて男は叫び続けた。
この場にいる誰もが何が起きているのか理解できなかったことだろう。何故なら、蹲る男の前に小学校高学年ほどの少年が血に塗れた包丁を持って立っていたのだから。
「やめろ、来るな! おい! さっさとこいつを何とか────」
再び辺りには鮮血が溢れて舞い上がる。袖に付いた血液に触れるとべっとりとした感触が掌に広がった。
もう一人の男が首から大量の血液を飛び散らせ、仰向けで地面に倒れた。地面に横になる二人の男は、血を流しながらびくとも動かなくなる。
残された一人の男は蘭の傍を地面を這い蹲りながら進み、路地裏の外へと逃げようとした。
蘭は地面に座り込み、状況の理解に追いつかない頭を必死に回転させながら目の前の光景を眺めていた。
首から血を流す男の前に立っていた少年は、琥珀色の瞳で逃げ出す男を捕らえる。
「ぐあああ!」
視界に映したかと思えば、人間とは思えない速さで地面を這う男の背に跨る。
馬乗りになった少年は、血で赤く染まった包丁を天に掲げた。建物の間から覗く月明かりで包丁が鈍く光る。
容赦なく振り上げられた包丁はまっすぐと男の背に突き刺さる。空気を轟かせる耳障りな叫び声が辺りに響き渡った。
それからどれだけの時間が過ぎたのだろう。気がつけば男の叫び声は鳴りを潜め、辺りには静寂が流れている。
「お兄ちゃん……?」
かすれた声で少年の後ろ姿に問いかけると、馬乗りになっていた少年はゆっくりと立ち上がり振り返る。
包丁を握り締め、顔に付いた血を拭う姿は異常そのものである。
「言っただろ」
いつの間にか雨は止んでいた。疎らに残る雲の間から覗く月は欠けていて、目の前にいる少年の瞳とよく似た三日月が浮かんでいる。
少年は蘭の前まで歩み寄ると、しゃがんで目線を合わせる。目を細めて笑う姿は年相応の子供のように見えた。
「俺が守ってやるって」



