目に掛かっていた前髪を掻き上げると、その下には怒りに歪んだ顔があった。相当な恨みを持っているようである。
布団の上に横になったまま、蘭は黙って志筑のその表情を見ていることしかできなかった。
「愛なんて無い。最初から望まれた命じゃなかったんだ」
「それは違う」
志筑の自虐的な発言を聞いて蘭は反射的にそう口にしていた。怒りを滲ませた表情を浮かべていた志筑は驚きに目を見開く。
「それは、違うよ。志筑は望まれて生まれてきた。志筑の命は愛されるべき命だよ」
「俺の命が愛されるべきだって? 人殺しで、未成年連れ回して、逃げ回ってる俺が?」
「そうだよ。人殺しだから何? 子供の私を連れて逃げているから何? 私は望んであんたと一緒にいるんだよ。あんたは無条件に人を殺すような奴じゃない。今までに殺してきた人達は、法に裁かれない人間のクズだったんでしょ?」
自分の過去を表した悪夢を見たせいで全てを思い出してしまった。
鉄錆の匂いと不快な湿気が印象的で、蒸し暑く雨が降る夜のことである。
その日も当たり前のように廃墟ビルの一室で目を覚ました。窓の外を見ると夜空が浮かんでいる。夜の街からは活気が薄れ人々の声など聞こえない。
街に賑やかさなど無いが、生きるために食料と調達しなければならなかった。静かな部屋の中にいると独りであるように錯覚する。
しかし、一人で街に行くわけではない。守ると言ってくれた“兄”が隣りにいるのだ。
「お兄ちゃん、そろそろ起きて行こ────」
けれど、その日は隣りにいるであろう“兄”がいなかった。布団も、普段使っていたマグカップも、着ていた上着も何もかも。彼の存在を証明する物という物が無くなっていたのだ。
「……お兄ちゃん? ねえ、何処に行ったの? お兄ちゃん!」
布団から這い出て部屋の中を隅々まで探しても、彼がいた形跡が跡形も無くなっていた。
部屋を飛び出し廃墟ビルを出て街に出るが、辺りに彼がいるような気配はなかった。行き交うのはスーツを着た男や派手なドレスの女、その二人組などである。その中に彼が紛れていることはない。
嘘だ。そんなわけない。私を独りにするわけがない。
守ると言ってくれたのだ。三日月を背にして彼は言ってくれたのだ。
彼の言葉を聞いたその日から、今までずっとその言葉を信じてきたというのに。こんなにもあっさり裏切られてしまうのか。そう思うと何だか妙に心の奥の熱が冷めていくようである。
「最低……」
口をついて出た文句は誰の気にも留まることはない。風に乗って無情に流れていくだけである。
呼吸が苦しくなり目の前が歪み始める。頬に当たる雨粒が涙と混ざり合って顎先から滴り落ちていく。
廃墟ビルの前から歩き出し、雨に全身を打たれながらも街の中を進んだ。何処かにあの男の子はいる。自分よりも歳上であることは確かだが、それでも子供なのだ。そう遠くへは行けないだろう。
寂れた街を外れて大通りへと踊り出ると、辺りは人の群れで溢れ返っていた。
布団の上に横になったまま、蘭は黙って志筑のその表情を見ていることしかできなかった。
「愛なんて無い。最初から望まれた命じゃなかったんだ」
「それは違う」
志筑の自虐的な発言を聞いて蘭は反射的にそう口にしていた。怒りを滲ませた表情を浮かべていた志筑は驚きに目を見開く。
「それは、違うよ。志筑は望まれて生まれてきた。志筑の命は愛されるべき命だよ」
「俺の命が愛されるべきだって? 人殺しで、未成年連れ回して、逃げ回ってる俺が?」
「そうだよ。人殺しだから何? 子供の私を連れて逃げているから何? 私は望んであんたと一緒にいるんだよ。あんたは無条件に人を殺すような奴じゃない。今までに殺してきた人達は、法に裁かれない人間のクズだったんでしょ?」
自分の過去を表した悪夢を見たせいで全てを思い出してしまった。
鉄錆の匂いと不快な湿気が印象的で、蒸し暑く雨が降る夜のことである。
その日も当たり前のように廃墟ビルの一室で目を覚ました。窓の外を見ると夜空が浮かんでいる。夜の街からは活気が薄れ人々の声など聞こえない。
街に賑やかさなど無いが、生きるために食料と調達しなければならなかった。静かな部屋の中にいると独りであるように錯覚する。
しかし、一人で街に行くわけではない。守ると言ってくれた“兄”が隣りにいるのだ。
「お兄ちゃん、そろそろ起きて行こ────」
けれど、その日は隣りにいるであろう“兄”がいなかった。布団も、普段使っていたマグカップも、着ていた上着も何もかも。彼の存在を証明する物という物が無くなっていたのだ。
「……お兄ちゃん? ねえ、何処に行ったの? お兄ちゃん!」
布団から這い出て部屋の中を隅々まで探しても、彼がいた形跡が跡形も無くなっていた。
部屋を飛び出し廃墟ビルを出て街に出るが、辺りに彼がいるような気配はなかった。行き交うのはスーツを着た男や派手なドレスの女、その二人組などである。その中に彼が紛れていることはない。
嘘だ。そんなわけない。私を独りにするわけがない。
守ると言ってくれたのだ。三日月を背にして彼は言ってくれたのだ。
彼の言葉を聞いたその日から、今までずっとその言葉を信じてきたというのに。こんなにもあっさり裏切られてしまうのか。そう思うと何だか妙に心の奥の熱が冷めていくようである。
「最低……」
口をついて出た文句は誰の気にも留まることはない。風に乗って無情に流れていくだけである。
呼吸が苦しくなり目の前が歪み始める。頬に当たる雨粒が涙と混ざり合って顎先から滴り落ちていく。
廃墟ビルの前から歩き出し、雨に全身を打たれながらも街の中を進んだ。何処かにあの男の子はいる。自分よりも歳上であることは確かだが、それでも子供なのだ。そう遠くへは行けないだろう。
寂れた街を外れて大通りへと踊り出ると、辺りは人の群れで溢れ返っていた。



