荒廃した世界で、君と非道を歩む

 しかし、他に客がいない静かな場所であるからこそ、かえって蘭の怒りに火が着いた。

「もう終わりにしよう。疲れたし、もう寝る」

 逃げるようにその場から去る蘭を二人は止めようともしない。小さく丸められた背中を見つめたまま、二人の間に会話が交わることはなかった。
 無言のまま椅子から立ち上がった志筑は、一度も新汰に視線を向けること無く歩き出す。

「ちょい待ち」

 そんな志筑を新汰は呼び止める。もたれ掛かっていた壁から離れ、廊下の中央に仁王立ちすると、振り返った志筑の光のない瞳をじっと見つめた。

「蘭ちゃんの今の発言、何や気にならんか」
「……親のことか?」
「随分と恨んどるみたいやった。痛い思いやら泣くくらい辛いことがあったって……。これはあくまで俺の憶測やけど、蘭ちゃんは過去に虐待を受けとったんちゃうか」
「あの言い方と様子からしたら、まあ、そう思うのが妥当か」

 首筋に手を当て視線を逸らす志筑は、小さくそう呟く。新汰にはその言葉がはっきりと届き、そして彼もまた志筑から視線を逸らした。
 二人の視線が何も無い所に投げ出され、これで何度目か分からない沈黙が流れ出す。

「今の時代、児童虐待となればすぐに保健所やら児童養護施設やらが動いてくれる。せやけど、蘭ちゃんはそんな支援すら受けられていなかったのかもしれん。あの言い方と怯え方からして、ただ単に日常的に暴言をはかれていたとも、暴力を振るわれていたでもない。もっと何か記憶と心と身体に深い傷を負わせような何か……例えば、性的虐待、とか」
「……それを俺達が予想したところで何になる。今のあいつは親のもとには行きたくないと言ってるだけだ。なら行かせなかったらいいだけのことだろ」
「それがそうもいかんから言ってんねん。蘭ちゃんはギリギリ成人してないんや。そんなあの子の身の回りのこと、お金やら生活やらを管理してんのはあの子の両親。当然、俺達が蘭ちゃんを親元から遠ざけようとしても、親が蘭ちゃんを探してるんやったら大人しく引き下がるしかあらへん」
「なんでだよ……。あいつが望んでるんだったら連れて行ってやればいいじゃねえかよ」
「俺やあんたみたいなのができることなんて何もあらへん。結局血の繋がりが全てなんやから」

 ギリリと奥歯を噛み締め考えを巡らせるが、何も蘭にできることは思いつかないままだ。このまま彼女をここに置いて親が探しに来るまで待つほうが幸せなのではないかと考えてしまう。
 二度と新汰に視線を向けること無く志筑は背を向けた。その背中がやけに小さく寂しげだったのは新汰しか知り得ないことである。