今、貴方は何処にいるの。今、貴方は何処で生きているの。
私のことを覚えていますか。私と過ごした時間を覚えていますか。
今でも出会わなければよかったと思っていますか。
再生ボタンをもう一度押し、流れていた曲を止める。イヤホン越しでも聞こえるくらいこの休憩所は騒がしい。
休憩なんてできるわけがないのに人が集まるのは何故なのだろう。意味なんて分かるはずもないのに考えてしまう。
「ええもん聞いてるね」
誰かが向かいの席に座った。CDプレーヤに落としていた視線を上げて前を見る。
向かいに座った人物は一冊の本をテーブルの上に置くと、掛けていたサングラスを外した。
優しく細められた目が蘭を見つめる。目を疑った。
「蘭ちゃんも影山詩子好き?」
「……新汰」
「その曲聞いてからこの本読んでみ。まっじで泣けるから」
テーブルの上に置いていた小説を蘭の方へ押し、新汰は得意の笑顔を浮かべた。
イヤホンを外してその小説を手に取る。新汰はCDプレーヤからイヤホンを抜き取り、そのまま再生ボタンを押した。
表紙を開いて一ページ目に視線を落とす。二人の間には『前途洋々』が流れ出した。
『俺が守ってやる』
『貴方は満月を背にしてそう言った』
『俺はここにいる』
『貴方は私を抱き締めてそう言い聞かせた。そして、貴方の胸の中で私は思った』
この先を読みたくはなかった。見てしまえばきっと自分が自分ではなくなってしまう気がしたから。
それでもページを捲る手が止まらない。向かいでことの成り行きを見守る新汰が蘭へと視線を送る。
蘭は一度新汰と目を合わせると、続きを読むためにページを捲った。
『貴方にだったら殺されてもいい、と』
まるで過去の自分達を描いているようだと思った。あまりにも過去の自分が考えたことと、この小説に綴られる一文が似ている。
けれど、この小説の主人公は蘭ではない。だって、蘭は殺されてもいいなんて考えたことなど無いのだ。
蘭が思ったのは、殺されたいという我が儘な願望である。そしてその願望を聞き入れた人は、満月ではなく三日月を味方につけていた。
「……別に泣けないけど」
「ああ、知ってる」
「は? じゃあなんで泣けるなんて言ったの」
「だって、読む前から蘭ちゃん泣いてるんやもん。意地でも泣いてないって言いそうやから、そう言ったら認めるかな思うて」
言われて蘭は自身の頬に手を当てた。何故だろう、理由なんて分からないのに一筋の涙が流れていた。
「その右手、怪我したわけとちゃうんやろ」
新汰は頬に触れる蘭の右手を見つめてそう言った。包帯を乱雑に巻かれた右手は新汰の言う通り怪我をしているわけではない。
にも関わらず上手く動かせないのだから、主治医も頭を悩ませていた。
「後悔、してるんやな」
新汰は諦めたような窶れた微笑みを蘭に向ける。その微笑みがやけに悲しげに見えて蘭は目を逸らした。
いつの日か、誰かも同じように諦めに似た微笑みを向けてきたことがあった。
もう、顔もよく思い出せない。声も姿も匂いも何もかも。
それなのにその人と過ごした時間は全て鮮明に覚えている。ただ、思い出を映した写真からその人だけが切り取られた状態でしか思い出せないのだ。



