辛くなるだけだと分かっていながらも、気がつけば来てしまっていた。崩れ落ちた瓦礫へと変わり果てた柳凪。その向かいには黒焦げになった瓦礫が山積みになっている。
もし鏡子がいなければ、あの瓦礫の下敷きになっていたのは自分だったのか。そう思うと途端に恐怖が身体を蝕み始める。
一度失ってしまえば二度と取り戻すことはできない。それは人が死んでから生き返らないことと同じだ。
足元に突き出た瓦礫に視線を落とすと、何かがキラリと光を放った。
屈んで軽く瓦礫を手で払うと、その正体は血に塗れ黒く焦げたブレスレットであった。鏡子が死ぬ最後の時まで身に着けていたものだ。遺体を回収するときに誰かがここに残してくれたのだろうか。
血に汚れてしまっているが素の美しさは健在である。鏡子が大切にするのも納得できる代物だ。
「ありがとう鏡子さん。私を守ってくれて、ありがとう」
このブレスレットを見ていると鏡子がすぐ傍にいるような気がした。彼女は今も見守ってくれている。そう思えた。
鏡子によって生かされたこの命とどう向き合っていくのは蕗だけが決められる。そしてその答えはとっくに決まっていた。
「私、最後まで生きるから。いつか皆の元に行った日には、迎え入れて褒めてくれるかな」
『ええ、もちろんよ』
鏡子の声が聞こえた気がした。振り返ってみるが当然彼女はそこにはいない。とうとう頭までおかしくなってしまったか。
これまでに何度かあった異常な物忘れは脳の記憶する機能に異常があるからだ。記憶障害、蕗はおそらくそれを患っている。
いつまでも思い出を残しておくことはできない。もうすでに忘れてしまったことがある。母親と父親の顔、声。友里恵や洸希のこと。彼らのことを蕗は全て忘れてしまっている。毒撒きの疫病神の噂も、その犯人のことも、何もかも蕗にとってはなかったことと同じである。
少しづつ悪化している記憶障害を止めることはできない。治す術など何も残っていなかった。
「忘れたくないなあ」
今覚えている分だけはこれから先も忘れたくはない。だがそんなことを願ったところで止められるはずもない。
頭上に広がる青空に視線を移し、ぼんやりと見上げた。この空の向こう側に死んでいった人々は一体どれだけいるのだろうか。
手を伸ばしても到底届かない。早く向こうへ行きたいと思うが、まだこの世にいたいと思うのもまた事実。
今はまだそっちに行けない。だからもう少しだけ待っていて。
いつかそっちに行った日には、それまでにあったことを覚えているだけ話すから。
目を閉じて肺いっぱいに空気を吸い込む。昨日までは空気の中に煙の匂いなど不純物が混ざっていたが、今は少しだけ綺麗な空気に戻っていた。
「あっいたいた。探したよ蕗」
不意に仁武の声が聞こえた気がして目を開ける。それもそのはず、背後には笑顔を浮かべた仁武が立っていたのだ。
「えっ、な、なんで。仁武がここにいるの?」
「なんでって、蕗を連れて行きたい場所があるんだ。一緒に行こう、皆待っているよ」
有無を言わさず手を引く仁武はやけに楽しそうである。つい昨日、互いに衝突したというのに彼の切り替えの速さには驚かされるばかりである。
何処を見ても崩れた瓦礫だらけの町の中を進み続ける仁武の背中を眺めながら、ふつふつと蕗の中で恐怖心が湧き上がってきた。
仁武のことだから、命の危険に関わるような所に連れて行かないと分かっている。静かに引かれるままについていくと、何だか見覚えのある建物の前に仁武は足を止めた。
あまり空襲の影響を受けていないのか、その建物は綺麗に形を保ったまま残っている。
「こ、ここって……」
「そ、元風柳写真館。懐かしいよな。ほら、入ってみろよ。きっと驚くからさ」
言われるままに中に入ると、懐かしい匂いが鼻腔を擽った。
もし鏡子がいなければ、あの瓦礫の下敷きになっていたのは自分だったのか。そう思うと途端に恐怖が身体を蝕み始める。
一度失ってしまえば二度と取り戻すことはできない。それは人が死んでから生き返らないことと同じだ。
足元に突き出た瓦礫に視線を落とすと、何かがキラリと光を放った。
屈んで軽く瓦礫を手で払うと、その正体は血に塗れ黒く焦げたブレスレットであった。鏡子が死ぬ最後の時まで身に着けていたものだ。遺体を回収するときに誰かがここに残してくれたのだろうか。
血に汚れてしまっているが素の美しさは健在である。鏡子が大切にするのも納得できる代物だ。
「ありがとう鏡子さん。私を守ってくれて、ありがとう」
このブレスレットを見ていると鏡子がすぐ傍にいるような気がした。彼女は今も見守ってくれている。そう思えた。
鏡子によって生かされたこの命とどう向き合っていくのは蕗だけが決められる。そしてその答えはとっくに決まっていた。
「私、最後まで生きるから。いつか皆の元に行った日には、迎え入れて褒めてくれるかな」
『ええ、もちろんよ』
鏡子の声が聞こえた気がした。振り返ってみるが当然彼女はそこにはいない。とうとう頭までおかしくなってしまったか。
これまでに何度かあった異常な物忘れは脳の記憶する機能に異常があるからだ。記憶障害、蕗はおそらくそれを患っている。
いつまでも思い出を残しておくことはできない。もうすでに忘れてしまったことがある。母親と父親の顔、声。友里恵や洸希のこと。彼らのことを蕗は全て忘れてしまっている。毒撒きの疫病神の噂も、その犯人のことも、何もかも蕗にとってはなかったことと同じである。
少しづつ悪化している記憶障害を止めることはできない。治す術など何も残っていなかった。
「忘れたくないなあ」
今覚えている分だけはこれから先も忘れたくはない。だがそんなことを願ったところで止められるはずもない。
頭上に広がる青空に視線を移し、ぼんやりと見上げた。この空の向こう側に死んでいった人々は一体どれだけいるのだろうか。
手を伸ばしても到底届かない。早く向こうへ行きたいと思うが、まだこの世にいたいと思うのもまた事実。
今はまだそっちに行けない。だからもう少しだけ待っていて。
いつかそっちに行った日には、それまでにあったことを覚えているだけ話すから。
目を閉じて肺いっぱいに空気を吸い込む。昨日までは空気の中に煙の匂いなど不純物が混ざっていたが、今は少しだけ綺麗な空気に戻っていた。
「あっいたいた。探したよ蕗」
不意に仁武の声が聞こえた気がして目を開ける。それもそのはず、背後には笑顔を浮かべた仁武が立っていたのだ。
「えっ、な、なんで。仁武がここにいるの?」
「なんでって、蕗を連れて行きたい場所があるんだ。一緒に行こう、皆待っているよ」
有無を言わさず手を引く仁武はやけに楽しそうである。つい昨日、互いに衝突したというのに彼の切り替えの速さには驚かされるばかりである。
何処を見ても崩れた瓦礫だらけの町の中を進み続ける仁武の背中を眺めながら、ふつふつと蕗の中で恐怖心が湧き上がってきた。
仁武のことだから、命の危険に関わるような所に連れて行かないと分かっている。静かに引かれるままについていくと、何だか見覚えのある建物の前に仁武は足を止めた。
あまり空襲の影響を受けていないのか、その建物は綺麗に形を保ったまま残っている。
「こ、ここって……」
「そ、元風柳写真館。懐かしいよな。ほら、入ってみろよ。きっと驚くからさ」
言われるままに中に入ると、懐かしい匂いが鼻腔を擽った。



